今日は、小田山において田中玄宰翁墓前祭が開催され、私は市長として追悼の言葉を申し上げて参りました。
田中玄宰翁は、旧会津藩の家老であり、会津藩五代藩主松平容頌(かたのぶ)公、六代藩主容住(かたおき)公、七代藩主容衆(かたひろ)公に仕え、当時会津藩に打撃を与えた「天明の大飢饉」、利根川や荒川の改修、江戸城の「手伝い普請」、江戸会津藩邸の消失などの窮地を乗り越えるため、財政、産業、軍制、教育など藩政のすべてにおいて改革を断行した方であります。
翁の改革によって庶民の生活向上、殖産興業の奨励が図られ、漆器・酒造り・絵ろうそくなど今日の伝統産業の基礎が築かれました。
また、教育改革における最大の功績は藩校日新館の創設であり、その精神は現代を生きる私たちの中にも脈々と受け継がれております。
更に、翁の政策の一つとされる1808年の「樺太警備」は、ロシアの攻撃に備えて約1600名の藩士が現地での警備についたものであり、その活躍には幕府をはじめ諸藩から絶賛を得たものであります。
このように翁の政策は現在の本市の礎を築かれたといっても過言ではありません。しっかりと後世へ伝えるべく、顕彰し継承して参ります。
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