会津松平家墓所は、会津松平家第2代保科正経から9代松平容保(かたもり)まで祀られおり、昭和62年に国の史跡に指定されています。平成13年12月に史跡保護のため公有化を行い、史跡指定区域のほとんどを会津松平家から会津若松市の所有に致しました。
また、保存・管理・活用基本計画、整備実施計画を策定し、平成17年から、その年次計画に基づき、樹木の整備、き損箇所・危険箇所の復旧、便益施設の整備等の本格的な史跡環境整備に着手しております。
さて、この御廟は神式の墓で亀形石を台座とした碑石が前面にあり、その奥の一段高い場所に灯篭が対に並び、その奥に表石、さらに奥に小高い墳丘を造りその上に八角形石組の鎮石が置かれています。
初代藩主 保科正之の墓所は遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山麓の美祢山に、死去の翌1673年神式によって造られ葬られました。後に土津神社(はにつじんじゃ)が建立されたのであります。
会津松平家墓所は本市の歴史的に重要な史跡です。保存・整備に取り組み、後世にしっかりと引き継いで参ります。
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