今日は大町融通寺本堂において町野主水家慰霊祭が執り行われました。私は市長として追悼の言葉を申し上げて参りました。
町野家は蒲生氏郷公の重臣として仕え、二本松の城主を務められました。さらに、会津藩の藩祖保科正之公の会津入りに際し召し抱えられてからは、幕末に至るまで会津藩の重臣として活躍された家柄であります。
とりわけ、慶応4年1月3日、鳥羽・伏見に端を発した戊辰の役におきましては、我が会津藩は、時の流れとは申せ、言われなき賊軍の汚名を着せられ、望まぬ戦いに巻き込まれましたが、町野主水は、現在の新潟県魚沼市小出の代官として、会津藩の佐川官兵衛、長岡藩の河井継之助らとともに壮絶な戦いを繰り広げ勇名を全国に轟かせたのであります。
その後、この戊辰の役において数多くの会津藩士とその家族が亡くなりましたが、会津藩降伏後、図らずも生き長らえた町野主水は、明治政府の命により野ざらしにされていた会津藩の戦死者の埋葬に奔走されるとともに長年にわたり殉難者の慰霊に務められるなど、その後の会津の復興に多大な貢献をされたのであります。
写真左から4枚目の中央の方は町野家御子孫の町野英明様であります。その右側の方は御内室の町野佳子様であります。ご紹介致します。
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