9月10日に、南魚沼市浦佐地区で、地元市議会議員の関常幸先生、北村洋成さんのご助力を得てミニ集会を行いました。
この浦佐地区は3月3日に毘沙門堂裸押し合い大祭にお寄せいただいたところです。集会も、大迫力の押し合いの写真をバックに行われ、地元の多聞青年団の有志の皆さんも参加してくださりました。私の挨拶の後には皆さんから自己紹介とご意見を頂、大変盛り上がった集会となりました。
この参加者の中に私が小学校のときに理科を教えてくださり、その後校長を勤められた坂西先生がおられ、私の挨拶後に、「いや、1年前と比べてずいぶん話すのがうまくなったもので、びっくりしました」と言ってくださりました。
1年前にこの世界に入るまでは思ってもいなかったのですが、政治の世界における「話し方」と言うのは、なかなか難しいものです。私はそれなりに人前で話したことがあって、「うまい」とは言われないまでも特に「下手」とも言われなかったので、自分は普通に話せるんだろうと思っていました。ところが昨年の選挙で演説を行ってみると、今までとは全く勝手が違います。今までは基本的には仕事なり何なりで、「話を聞く必要がある」「似たような立場の人」を相手に話をしていたわけですが、政治家としての話は、「聞きたくなかったら聞かなくても良い」「多様な立場の人」を相手に話すことになり、それだけでプレッシャーがかかります。その上、政治家の話は通常原稿もスライドもなしですから、聞いている方の顔がとてもよく見えます。話しの途中で、聞いている方が「つまらんな」と言う顔をしているように思えるともう大変で、「いかん、何とかしなければ」と言う焦りが生じてしどろもどろになり、それが更に話をつまらなくすると言う悪循環に陥ることが正直多々ありました。
自分なりにつかんだこつは、相反するようですが「その場の評価に一喜一憂しない」と「相手の反応をよく見る」です。今まであったこともない人を前に、いきなり自分の考えを述べるわけですから、聞くほうからしたら同意できなかったり、つまらなかったりするのはむしろ当然です。批判も反論も受け止めるから、ともかくも自分の考えをしっかり言う、正直その辺の開き直りは必要だと思えるようになりました。しかしそれと同時に聞き手の反応をよく見なければ独りよがりで、いつまでも話しは良くなりません。話の中には、「誰もが楽しめるところ」も「誰もがつまらなそうなところ」も自然と出てきます。そこはしっかりと覚えて次回に生かすことが、すこしでも話を上手くしていくのには重要です。そして、「誰もが時計を見出し」たら、如何に「一喜一憂せず」といえども、流石にそろそろやめるべきときだったりします。
政策は、右であれ左であれ、ある程度はっきりしたスタンスを打ち出さないと、効果がありません。そしてはっきりしたスタンスを取ったら、その瞬間に半分の人は、反対の立場になります。その反対は反対として受け止めつつ、少しでも同意してもらえるように説得する、政治はそんな難しいバランスの上に成り立つ作業のように思います。私はまだまだ駆け出しで、坂西先生の評価も2から3になった程度であろうと思います。でも千里の道も一歩から、恩師の評価を胸に、3から4、4から5へ向上できるように、頑張って行きたいと思います。
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