先日高校の必修未履修問題に触れました。先日行ったミニ集会で調度この問題を取り上げまして、その場で、参加者の方から冗談半分で、「米山さんの母校は大丈夫ですかの?」と聞かれました。その時私は、「うーーん、今は良く分からないのですが、私が高校生のときは、そもそも受験科目が滅茶苦茶多かったので、受験に関係ない科目自体が少なかったんですよ。その上に受験にない科目をやった覚えもあるので大丈夫なんじゃないかと思います。」と答えておりました。
ところが先日、「灘高も未履修」と言う記事をインターネットで見つけました。生徒の一部に社会科の必修漏れがあり、又生徒の全員に家庭科の必修漏れがあったそうです。尚家庭科は教えていなかったわけではなく、教えてはいたけれど物理や化学の先生が教えていたそうで、これでは履修したとは認められないとのことでした。
この家庭科は1994年から必修になっています。私の高校時代には必修でなく授業もありませんでしたが、実は家庭科は中学時代の私の得意科目で、全期を通じて10段階評価で9か10だったと記憶しています。
我が母校がおろそかにしてしまっていたので大きな声では言いづらいのですが、私は家庭科も今の子供たちが将来幸せに生きる為に、是非とも教えるべきことだと思います。理由はいくつかありますが、その一つは、「家庭科の技術は人生を楽にする」ことだと思っています。
私は食いしん坊なので、人生の幸せの半分は、美味しいものを食べることで出来ていると思っていますし、少なからぬ数の人がこれには同意してくれると思います(そうでもないですか?)。外食で美味しいものを食べるには、場合によりますが、控えめに見て1000円〜3000円位は払わなければなりません。好きな時いつでもこの額を支出できる社会的成功を手に入れることは、実はそう容易ではありません。しかし材料費に一人1000円もかければ、ある程度料理の出来る人なら、結構美味しいものを作れますし、3000円もかければ、びっくりするくらい美味しいものを作れます。真面目に働きさえすれば、週末に一人1000〜3000円の材料で豪華な食事を作って友人や家族と楽しむことは、そう難しい事ではありません。年収何百万だか何千万だか稼がなければ幸せになれないと思うと人生苦しくなるのですが、普通に働きさえすれば大体いつでも幸せになれると思えれば、人生はずっと楽になります。
人生が楽であることの効用は、「楽」であることそれ自体の他に、もう一つあります。それは、「何でも出来るようになる」ことです。人間「どうしてもこういうものを手に入れなければならない」と思うと失敗できなくなって選択の幅が狭まってしまいます。しかし、「多少失敗したって別段幸せだしな」と思えれば、選択の幅はぐっと広がります。
勿論それも良し悪しで、「何が何でも毎日お鮨(?)の食べられる『人生の成功』を手に入れるべく頑張るべきだ」と言う意見もあるとは思います。しかし、この変化の激しい現代において、一体どうすればその「人生の成功」を手に入れることが出来るのか見通すことは困難です。そうであれば、「失敗したって人生楽しいさ」と言う信念の下に、やろうと思ったことをやってみる方が、遥かに現実的な人生あり様のように思います。
灘高にかよっている後輩を始めとする高校生の皆さん、家庭科を学んで、「楽で選択の幅の広い人生」を手に入れてみまませんか(笑)?
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