先日、名古屋高裁で判決理由中の判断においてではありますが、航空自衛隊のバクダットへの兵員の輸送が、テロ特措法に反し、違憲であると判断されました。
判決理由中の判断で重要問題を判事することに問題がなくもないのですが、常識論としては、当然の結論ではないかと思います。
連日武装勢力同士の戦闘が繰り広げられているバクダットを「非戦闘地域」と言うのは誰が考えても無理があります。また「兵站(ロジスティック)」はローマの昔から軍事の最も重要なものの一つで、これを「武力行使でない」などというのは、これまたあまりに常識はずれです。「非戦闘地域への非武力行使」のみに自衛隊を派遣できるとするテロ特措法の下では、違憲判断に踏み込むまでもなく、イラク派兵は違法でしょう。
私は多くの人と同じように、イラク戦争それ自体は誤っていたと思います。この戦争に加担する大義は、ありませんでした。しかし、「では派兵すべきでなかったか?」と問われれば、迷わず「当時の国際情勢から考えて、派兵は止むを得なかった」と答えます。日本は自国の防衛をアメリカに完全に依存しています。決定の前段階では、たとえ正反対であってもアメリカにはっきりと自らの意見を伝えるべきですが、いざ決定がなされたら、基本的にはその路線に強調していかなければ、同盟は崩れ自らの安全が保障されなくなってしまうからです。日本は決して軍事小国ではありませんが、それでも、「自らの裁量でその行動を決定する『軍事的自由』を有する国ではない」と言う現実から逃れることはできません。「あくまで日本は日本で独自の立場を貫くべき」と言う意見の方もおられるでしょうが、それを実現したいなら、その「軍事的自由」を手に入れるためには、莫大な経済的・政治的コストをかけなければなりません。それは日本の独自行動を求める人たちが望む方向とは、おそらく正反対でしょう。
第二次世界大戦以降確かに大規模な戦争はなくなりました。しかし、イラク戦争に限らず、世界各国で戦争や武力衝突は絶え間なく起こっています。日本自体、中国・北朝鮮・韓国・ロシアと「小競り合い」と言って良い事態は何度となく経験しています。そういった現実の世界の中で日本が生き残っていく道は、アメリカを中心とした集団的防衛体制を構築し、その重要な一員として発言権を増していくことしかないと、私は思います。
そうである以上政府は、毎回「非戦闘地域である」「平和的活動である」と言う苦しい言い訳をするのではなく、正面から憲法解釈を変更し、「日本国憲法は自衛権を認めており、その一環として集団的自衛権も認められる。従ってたとえ戦闘地域で行われている軍事活動に携わる場合であっても、それが同盟国の自衛のために不可欠と考えられるなら、自衛隊の派兵は認められる」とすべきものと思います。そうやって非現実的な言い訳を排除して、自らの置かれた立場と正面から向き合ってこそ我々は、真剣に「自衛のために不可欠なのかどうか」を問い、そうでないならそうでないとアメリカに直言することができるようになるのだと、私は考えます。
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