ニュースの感想
連日報道されていて「今更」と言う感じかもしれませんが、本日参議院で新総裁に武藤氏を当てる人事案が否決されました。与党は野党を「無責任」と非難し、野党は与党を「横暴」とののしり、マスコミは人事の混迷によって「日銀総裁が不在となったら大変だ」と嘆いています。
3者3様の主張にそれぞれ理はありますが、私はそれ以前に、現在の「混迷」のあり方それ自体に、深い憂いを感じます。
そもそも日銀人事の混迷が問題となるのは、マスコミの言う通り「日銀総裁が決まらないと大変!」であることが前提となります。しかし、ふと「いったい日銀総裁の仕事って何だろう?」「過去に際立った仕事をした日銀総裁っていただろうか?」と考えると、ほとんどの人は日銀総裁の仕事も、総裁の名前も浮かばないのが実情ではないでしょうか。かろうじて三重野総裁が金利を上昇させてバブルを崩壊させたことが記憶に残っているくらいしょう。
日銀総裁の仕事は本質的には「金利を上げるか下げるか」を決める事一つだけです。その為の情勢判断にある程度の熟練は必要かもしれませんが、「常識的」に判断するだけなら、率直に言って、ある程度経済学をかじった人なら、さほど判断に違いは生じないのではないかと思います。大学院生に聞こうが、外資系のディーラーに聞こうが、東大教授に聞こうが、余程変わった経済理論を信奉していない限り、「どのようなときに金利を上げ、どのようなときに金利を下げますか?」ときかれたら全員が口をそろえて「景気が悪ければ金利を下げ、加熱したら金利を上げます」と答えるでしょうし、「ではどうやって景気を判断しますか?」と聞かれたら、指標の読み方は十人十色でしょうが、結局のところほとんどの人が「過半数の人が景気が悪いと思ったら悪いし、良いと思ったら良い」と言う「常識的」判断をするだろうからです。
ただ例えば「ポーカー」のような「カードをそろえて提示するだけ」と言う極めて単純なゲームにも熟練の達人とずぶの素人がいて、両者がゲームをすると面白い様に前者が勝ちまくります。そして金融の世界にも、前FRB議長「アラン・グリーンスパン」の様な連戦連勝の達人がいます。こういった達人はかの有名な「根拠なき熱狂」のようなよくわからない言葉で市場を煙に巻いて、わけのわからぬままに市場心理を誘導してしまいます。また独連銀のように、「誰が総裁になろうがどんな経済状況だろうが、とにもかくにもインフレファイター」というある種「鉄面皮」ともいえる猛者もいます。極論かもしれませんが金融市場と言う「ライアーズ・ポーカー」の「メインプレーヤー」はこういったある種の「達人」達なのであって、常識的判断に従って常識的に動く人は、如何に優等生であっても「バイ・スタンダー(傍観者)」となるに過ぎないように思えます。
もし日本が、本気でこのような「達人」を求めているなら、日銀総裁人事をめぐる争いは、もっと違ったものになっているでしょう。与党は、「何故この人でなければならないか」を必死で説明し、早い根回しでそれを実現しようとするでしょうし、野党はそれを非とするなら、「財政と金融の分離」と言うような抽象論ではなく、「この人にはこれこれの能力がかけているからだめである。このような能力を持った人が必要だ」と、これまたきちんと論証してくるでしょう。そして双方ともに、なんとしても適任者を、期日までに任用しようと勤めるでしょう。結局のところ現在の日銀総裁人事をめぐる混迷は、与野党ともに、「日銀総裁」が世界の金融市場においては所詮は傍観者に過ぎなくなってしまっていることを無意識のうちに容認して、「彼でなければならない理由も、彼であってはいけない理由も伴に希薄」なまま争っている故のように私には見えます。実際問題現在の日銀のスタンスなら、副総裁が総裁職を代行したところで、本当のところさしたる問題は発生しないでしょう。
日銀総裁人事の否決が決まった今日、奇しくも欧米5カ国の中央銀行が協調的な金融緩和を行いました。日銀は「歓迎」の意を示すだけの、文字通りの「傍観者」でした。日本経済が今後とも世界第2位であり続け、いつかは世界1位を狙うためには、「プレーヤー」として世界を引っ張る日銀総裁を選ぶのだという心意気が、与野党双方に望まれます。
追記:「では誰にすればいいんだ?」と言う質問には、「やや古いかもしれませんが、榊原英資前財務官なんていかがですか?」とお答えしようと思います。円高阻止に奔走した氏の伝説と、歯に衣着せぬ言説は、ブラフをかますにはもってこいのように思われます。
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