現在、憲法改正の議論が盛んです。私は新潟日報のアンケートにお答えした通り、憲法改正それ自体には賛成ですが、憲法9条については、「改正の必要なし」という意見です。
因みに私は以前はバリバリの憲法9条改正論者でした(2007年5月17日「憲法9条改正について http://www.elec
この当時私は、
① 自衛の為の軍隊(自衛隊)の保持
② 内閣総理大臣による軍隊(自衛隊)の統制
③ 集団的自衛権
について明確にすべきであるとして、9条改正を主張していました。
現在もその意見は変わっていませんが、「それを実現するには、解釈改憲で十分であり、9条改正の必要はない。」と考えています。
この心境の変化には理由があります。
まず第一に、弁護士として改めて憲法その他の法令を読み直して①~③の総てが、本当のところ解釈によって十分対処されていることを、認識したことです。
言わずもがなですが、今現在、自衛隊は存在し、世界有数の戦力を有しています。現行憲法のままで、我々は自衛のための戦力を保持しているのです。
また先般の安倍総理の自衛隊閲兵で明らかなように、内閣総理大臣は、とっくに自衛隊の最高指揮権を有しています(自衛隊法7条)。
集団的自衛権に至っては、内閣法制局が「集団的自衛権を有するが、行使できない。」という奇妙な解釈を提示しているために行使できないことになっているだけで、単にこれを、時の内閣総理大臣(安倍総理)が「集団的自衛権を有し、かつ行使できる。」と変更すれば、その日から集団的自衛権の行使は可能になります。
したがって、「①~③の問題を『解決する』為に憲法改正が必要」という論調は正確ではなく、「①~③の問題を『明確にする』為に憲法改正が必要」と言うのが正しいと思われます。
勿論憲法解釈は、出来るだけわかり易いことが望ましいですから、「明確にする」ためだけにでも、9条を改正する意味はあるという意見も、あるでしょう。
私はそれも、理屈だと思います。しかし一方で、憲法9条の改正には、デメリットもあります。
その第一は、あまり言われていないことですが、「国論の二分」です。政治の末席であれこれ議論していて痛感するのですが、憲法、なかんずく9条の議論は、個人の哲学に深く根ざしていて、一方の立場にあるものが他方の立場の方を説得するということは、極めて困難です。如何に自民党が快調とはいえ、本当に9条を改正しようとなったら、日本の政治はてんやわんやで、デモの一つや二つは起こり、国会は半年くらいはそればかり議論して、他の案件については機能停止に陥るでしょう。
しかし、それだけの混乱を経て得るべきものは、前述のとおり、実際上今既に私たちの手に入っています。解決すべき切実な問題が山積している今、既に自らの手の中にあるものを、よりはっきりとあるという、ただそれだけの為に、政治の混乱を巻き起こし、国家を機能不全に陥れることが賢明な選択だとは、私は思えません。
リスクの第二は、ありがちですが、暴走の危険でしょう。
あまりこういうことを言うのもなんですが、私は、複数の集団で、「集団的同調圧力」というものを、目の当たりにしました。
普段は正義を唱えている方が、普通に考えて明らかにおかしいと思われることに対して、「皆がそういっているから」「上に逆らうと、大変だから」と言って沈黙するばかりか、それに異を唱えるものに、「空気が読めない。」「逆らうお前がおかしい。」と言って当然のように沈黙を強制する姿を、私は見ました。
日本という国家が、国家主義的同調圧力によって、本当のところ多くの人が望んでいない方向に進む可能性は、ゼロではありません。憲法は、たとえ取り越し苦労であっても、そういう事態を防ぐためにあるという機能を持ちます。その意味で、字面と解釈が乖離するにせよ、現行の憲法9条に、一定の歯止めとしての価値はあると思います。
リスクの第三は、誤解を恐れずに書くと、「他国の評価」でしょう。安倍総理が言うとおり、中国・韓国・北朝鮮の「脅し」に屈する必要は、勿論ありません。しかし、現在ことこの問題に関しては、日本と、中国・韓国・北朝鮮の間で、「イメージ合戦」が繰り広げられていること、もっと有体に言えば、「誹謗合戦」が行われていること(日本はさして相手を誹謗していませんが)は、否定できないと思います。
憲法9条が改正されれば、それはほぼ明白に、日本に対するネガティブキャンペーンに使われます。反日デモの一つや二つ、日本企業の打ちこわしの三っつや四っつは、起こるでしょう。そして悪いことに、(我が党の共同代表もおっしゃられている)勇ましい「押しつけ憲法放棄」論は、中国・韓国・北朝鮮以外の世界の国々からも、何のかんの言って連合国側で作られた国際秩序に対する挑戦と見られるリスクが非常に高くあります。
「自主憲法を持ち、国防軍を持って、責任をもって自国を防衛してこそ日本は評価される!」というスローガンは、むしろ正論です。しかし、おそらく現実の国際社会は、その正論がそう簡単には通らない、既得権益と、相互不信と、足の引っ張り合いに満ちたところです。平和主義憲法が「あまりにユートピア的」なのはそのとおりですが、日本の軍事的自主独立がすんなりと国際社会に受け入れられると考えるのも、おそらくは同程度に、もしくはそれ以上に「ユートピア的幻想」ではないかと、私は思います。
以上、私は、憲法9条改正の理念には賛成ですが、その理念は、現在すでに、改憲なしで「解釈変更」によって実現しているか若しくは実現できるものであり、一方で実際の改正となればそれは、国論を二分して政治の機能不全を引き起こし、将来的な暴走の可能性を生み、国際社会における日本の立場を複雑にするものであり、不要であると考えます。
憲法9条は、「護憲派」の言うような「絶対的教理」でも、「改憲派」の言う「国を堕落させた元凶」でもなく、日本という国家が、国をまとめ、国際社会を渡っていく「現実的な大人の知恵」であると、私は考えます。
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