安倍総理が、戦没者追悼式典での式辞において、アジア諸国に対する加害責任にふれなかったことが、話題になっています。
しかし私はむしろそれよりも、総理の「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた」と言う言葉に、耐え難い欺瞞を感じます。
人は、運命に翻弄されます。「目前の死が避けられないなら、せめて愛する家族の為に、故郷の為に、祖国の為に、全力を尽くそう」と、多くの戦没者が思ったことは間違いないでしょうし、その気持ちが尊いものであることに、何の異論もありません。
しかし、どう見ても太平洋戦争は、多大な国民の犠牲を顧みず、勝算のない戦いを勝算のないまま行った「狂気の沙汰」にすぎません。多くの人は、自らの人生を理不尽に踏みにじられ、やりたくもない戦争に駆り出され、やりたくもない殺し合いをさせられ、捨てたくもない命を無理やりに捨てさせられたのです。
そしてその責任の大半は、どう見ても、日本の現状を顧みず、根拠のない自己陶酔の中で非現実的な戦略を立案・実行し、戦略の破たんが明らかになってなお自己保身の為に戦争を継続し続けた当時の日本の指導層、政治にあります。
「戦没者は自らの覚悟をもって、進んで国の為に命をささげた。」などと言うのは、当時の日本の指導層が、自らの戦争責任を戦没者に押しつける為に作り出した、唾棄すべき言い訳に過ぎません。そのロジックを現代の総理が再び持ち出すことに、私は深い危惧を覚えます。
私は時の総理には、国家の代表として、誰よりも、理不尽に人生を奪われた日本の国民の為にこそ、心よりの謝罪と、同じ過ちを犯さないための決意を、示してほしいと思います。
そして自らは、戦争などと言う極限的な事態に限らず、日本に暮らす誰もが、理不尽に人生を踏みにじられることのない政治を、是非実現したいと思います。
選挙では大きな収穫があったと思います。
花火に癒されてください。(^-^)/
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