12月21日に公開され、好評を博している「永遠の0」の作者である百田尚樹さんと、渡辺昇一氏の対談を収録した、「ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む『失敗の本質』」が出版されています(http://www.webd
詳細は直接本を読むか、上のリンクを読んでいただければと思いますが、書内の
「資金難のために、ゼロ戦の装備を最小限のものにせざるを得かった日本軍。当然パイロットたちは、自らの命を守るべく『防弾板をつけてくれ』『燃料タンクも防弾用にしてほしい』などと要望しました。しかし、時の参謀はこの決死の要望を『要は撃たれなければよいのだろう。もっと頑張れ』と一蹴。何の解決策も提示しないまま、精神論で問題を片づけました。」
「異常ともいえるのが、ゼロ戦パイロットたちの勤務状況です。百田さんは、取材したゼロ戦パイロットの証言をもとに、その劣悪な労務管理を語っています。ゼロ戦パイロットの"出動"は、片道3時間をかけてガダルカナル島に着き、上空で十数分戦ったのち、ふたたび三時間をかけて帰るというような激務。しかも、当時の空戦記録を調べると、パイロットたちは通常で週2回、3回、多い時は週に5回も出撃していました。20代の若いパイロットが中心だったとはいえ、3日連続で出撃などしたら、体力や集中力は持ちません。まるで、高校野球のピッチャーが甲子園での連投で肩を潰すように、摩耗していきました。
一方のアメリカ軍では、パイロットたちのローテーションがきっちり決まっていました。一回襲撃すると次の出撃まで何日か休み、そのローテーションで一、二ヶ月を戦うといったん前線から引き上げて、後方勤務にまわることができました。疲労やストレスを軽減すると同時に、前線で戦う際のモチベーションを上げる手段でもありました。」
と言う指摘は、現代の日本の企業や社会の文化に対しても通じるところがあります。
昨今、「日本の伝統」を賛美し、旧来の日本の在り方に戻りさえすれば何でも解決するかのように考え、それに反するすべてを排撃する「安易な自己肯定」「狭量な保守主義」が広まっているように、私は思います。
日本は勿論素晴らしい国で、その伝統は尊重すべきですが、一方で、間違っていること、理不尽なこと、改めるべきところもたくさんあります。
それを一つ一つ直していくことこそが政治の役割であり、それによってこそ、日本と言う国は、本当に一人一人にとって暮らしやすい国になり、日本と言う国の永続的成長が可能になるのだと、私は思います。
破たん寸前の社会保障に何の手も打たず、ブラック企業・ブラック経営を放置し、何の改革も行わないまま「国が公共事業さえすれば、景気が良くなって世の中の問題はすべて解決する。」と言う自民党的「精神論的成長戦略」に安住するのではなく、永続可能な社会保障制度、誰もが安心して働ける労働環境、新しい産業が生まれる環境整備を、一歩一歩作っていく政治を、私は実現したいと思います。
戦争行為と企業行為などを比較するってのはちょっと無理があるのでは・・・・。
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