新国立競技場の建設が,大問題になっています。少々今更感がありますが,私は反対です。他のスタジアムが500億円程度で建設されていることを見ると2500億円はいかにもべらぼうで,常識的に考えて,これをストップして普通の値段でできるものに変更するのが,当たり前でしょう。
にもかかわらず,政府が「既に決まったことだから」という理由でこれを変更できないこと,そしてにもかかわらず,なぜか最初に決まっていたはずの予算は簡単に変更できることに,私は深い懸念を感じます。
政府関係者が言うように,本当に「決まったことは実行しなければならない。」「今やらなければ時間が足りない。」という理屈が通るなら,「決まった予算は守らなければならない。」「今変更しなければ予算が足りない。」という論理は,なぜ簡単に無視できるのでしょうか。
端的にそれは,「予算」というものに対して,政府があまりに無頓着になっているから,結局「予算なんて守らなくても,後でいくらでも借金してしまえばいいし,最後は増税すればいい。」と思っているからであると,結論せざるを得ません。
しかし当然ですが,予算は有限です。どこかで使ったらどこかを削らなければなりません。それができずに国債を発行したら,いつかは,その分税金を多く徴収して返さなければなりません。そしてその税金は,必ず誰かから取り立てなければなりませんし,税金を取り立てられた人は,それが1月1000円だろうが2000円だろうが,その分,消費を減らす-ランチを安くするなり缶ジュースを控えるなりしなければなりません。つまり当初1500億円だった新国立競技場に使うべき予算(それすらべらぼうですが)を1000億円増やすということは,誰かが,他のために使うはずだったお金を1000億円を減らすということに外なりません。それは誰かの,昼食代かもしれないし,子供の教育費かもしれないし,介護の費用かもしれないし,医療費かもしれないし,勿論オリンピックに参加する選手の育成費かもしれない,ともかくそういった貴重なお金を,単純計算で国民一人当たり1000円,ただ単に官僚と政治家が,「計算を間違えました。」「国家のために必要です。」という理由で,事前に決まっていた予算に反して新たに取り立てることが本当に許されるのか,私は真剣に問い直すべきことだと思います。
昨年の12月,安倍総理は消費税増税の先送りに対する是非を問うために,「代表なくして課税なし」と掲げて総選挙に打って出ました。この国立競技場問題は,当然ですが昨年の12月には,触れられてもいません。しかし1000億円の予算増は,将来必ず,1000億円の増税,若しくは,他分野の予算減となって,私たちに降りかかります。
その意思決定が,事前に決まっていた予算を反故にして,政府の一部の人達だけの意向で,国民に何ら信を問うことなく行われる政治というのは,極めて歪んでいると私は思います。予算規模に比較して額は決して多くはありませんが,大きく言えばそれは,政治家と官僚による予算制度の形骸化と言えるものです。
「代表なくして課税なし」,国立競技場の大幅予算オーバーでの建て替えをあくまで強行するなら,安倍総理は,1年前のかつての自らの言に恥じないよう,国立競技場立替問題と,ついでに安保法制を世に問うて,総選挙を行うべきであるはずだと,私は思います。
国立競技場立替問題で衆議院を解散してしまっては、選挙費用を含め結果的に2550億以上かかってしまうのでは。
昨年のGDP解散もそうですが、イベントごとに解散していては政治家に対する信用がなくなってしまいますよ。
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