安全保障法制の採決が大詰めを迎えるとともに、ヨーロッパでは難民受け入れの問題が生じています。この問題は極めて大きな課題を、日本につきつけていると、私は思います。
今回の安保法制に賛成の方は勿論、反対派も、現下の世界情勢が「集団的対応」-各国共同での対応-が必要なことに、異論はないと思います。それが今回の安保法制に当てはまるかどうかはまた別として、賛成派の方(なかんずく安倍首相)が集団的安全保障の必要性を論ずる際に使ったロジック、「隣の家が火事になったら、共同で消火しなければならない。」ということそれ自体に異論のある人はそう多くはないでしょう。では、同じように、「隣の家が火事になって、隣の人が焼け出されら、共同で受け入れるべきである。」と言われたら、我々は何と答えるのでしょうか。
「軍事行動については国内事情(憲法)を無視してでも協力するが、難民受け入れについては国内事情があるから協力できない。」とするのは、私はあまりにもご都合主義であり、積極的平和主義の名に恥じるものだと思います。世界の平和に対する積極的貢献を主張された安保法案賛成派の方々は、難民受け入れについても、当然積極的であるべきだと思います。
一方「日本は軍事行動以外で、世界の平和に積極的に貢献すべきである。」と主張した安保法案反対派の立場からも、いま世界から最も求められている難民受け入れに応えることこそ、日本の平和への貢献の場であることになるはずです。
日本は、比較的長い間、外国との交流がそれほど多くない歴史を送ってきました。しかし、ことに明治維新以降は、日本はアジアの他の国に先駆けて世界に門戸を開いて発展し、敗戦後も屈することなく世界と貿易をすることで経済発展を遂げてきました。そして今世界は、どの国も一国のみで存立できない相互依存の状態へと変化し、日本のあらゆる街に、外国人旅行者があふれています。日本がこの世界で、今までの立場を維持し、そして更に名誉ある地位を占めたいと思うなら、日本もまた変化することが必要であると、私は思います。
私は、日本は、変革の勇気をもって難民を受け入れ、共存の努力を惜しむことなく、彼らとともに、日本と世界の繁栄のために歩む道を進むべきだと思います。
頭では分かっているんですが、いざ現実を考えるともろ手を挙げて受け入れるってのは非常に抵抗があります。
考えすぎかもしれませんが、ヨーロッパ諸国では移民受け入れを推進している国は結構ありますが、その国で移民と既国民との衝突が問題化していることも事実です。
移民と難民は違うかもしれませんが、受け入れる以上は国の都合で追い出すわけにはいかないわけで、その辺の議論も必要なのではないでしょうか。
特に生活習慣、宗教がまるで違う民族を大量に受け入れるのであればそのリスクはさらに高まります。
まさか隔離するわけにもいかないでしょうからなんかその辺うまくいくアイデアでもあればいいんですけどね。
国連の常任理事国にもっと頑張ってもらいたいですね。
中東諸国のトラブルの元々の原因に無関係じゃない国が多々あるのですから。
難民のふりをして大量に密入国してきた民族がいますからね。彼らのせいで日本は難民、亡命者受け入れに積極的ではなくなっていると思います。
もう少しこの辺りを制度を作り直すなりしてからでないと、「人道上」の美名で動いてはいけないでしょう。
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