5月3日の安倍総理のビデオメッセージ以来、憲法改正の議論が盛んになっています。私は、憲法9条1項2項を保持したまま3項に「前2項の目的を達するため、日本国民は自衛隊を保持する。」とする従来の専守防衛解釈と整合的な自衛隊条項を付加するという事であれば、国民的議論を前提として賛成です。
しかしそれでも、憲法改正の議論は極めて慎重に、時間をかけて行うべきことであり、「2020年に施行」のように、最初から期限を設けるべきものでは全くないと思います。
憲法は、国家の基本理念を定めるものです。改憲派も護憲派も、極めて強い思い入れがあります。仮に上記の通り従来の解釈と整合的な条項を付加するだけでも、ほぼ明白に、国論を二分する非常に激しい議論になるでしょう。しかもその議論の結果は、「国民投票」の場で白黒つけられることになり、その後はそう簡単に覆せません。日本の社会は、極めて大きな分断の傷を、長く引きずることになります。私は、それが、超高齢化社会を迎え、社会保障や労働慣行といった極めて生活に密着した部分で大きな改革を行わざるを得ない日本にとって、プラスになるとは思えません。
一方で、実のところ、憲法9条に自衛隊条項を付加しようがしまいが、自衛隊はそこに存在します。「憲法学者の7割が違憲といっている。」と言う俗説が流布していますが、実際は、「純粋論理的には違憲の疑いがあるが、事実上合憲」と考えている学者が過半数で、違憲判決も出ておらず、何より国民の大半が自衛隊の存在を支持しています。議論は分かれるにせよ、集団的自衛権の行使容認解釈と安保法制で、日本が現下の国際情勢において現実的にとりうる防衛行動のオプションとしてできるものはほぼすべてできる状態となっており、憲法9条に自衛隊条項を付加しなくても困ることは全くなく、逆に付加したからと言って新たにできるようになることもありません。
憲法改正のもう一つの理由として挙げられた高等教育無償化に至っては、そもそも憲法改正など全くしていない状態で、高校までについては既に民主党が政策として実現しており、それを停止した自民党が憲法改正の理由とすることにはかなりな無理を感じます。言うまでもないことですが、高等教育無償化の最大の問題は財源であり、財源さえあれ憲法改正など必要なく、逆に財源がなければ、憲法に何を書こうが実現できません。むしろ憲法に書いてしまうと、「全面実施には5兆円必要だけれど、今財源として1兆円しかないから、まずは経済的に恵まれない20%の人から無償化する。」と言った微調整ができなくなり、足りない分は赤字国債(それを教育国債と呼ぼうが何と呼ぼうが)か増税、若しくは本来必要な福祉予算や公共事業予算の削減で賄わなければならなくなります。結局つけは子供たちが払うのであり、極めて本末転倒であると思います。
つまり、その目的が自衛隊合憲化であれ、高等教育無償化であれ、憲法改正を行ったところで、その結果日本社会が得ることができる果実は、実は極めて少ないのです。そのわずかな果実を得るために、修復しがたい分断を日本社会にもたらすことは、私は政治がなすべきことではないと思います。
日本国憲法第1条は、
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
と定めます。
天皇の地位は憲法によって規定され、憲法と伴にあります。
私は、この条文で、「天皇」を「憲法」と置き換えた
「憲法は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
も全く同じ意味であり、今後とも同じであり続けなければならないと思います。
憲法が、日本国民統合の象徴であり続けるために、主権の存する日本国民の総意が得られるまで、期限を設けることなく、根気強く粘り強い議論を重ねるべきであると私は思います。
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