さる国会議員が、参議院議員会館前で「テロ等準備罪」に反対活動をしている人たちが点字ブロックの上に立っており、注意してもどかなかったとのことで、
「反対運動って自分だけ良ければいいの?」「障害のある方や他者への配慮は関係無しか。」
と述べられていましたので、
「点字ブロック上を歩いている人がいるのに道を開けないならともかく、そこを歩いている人がいない状態で点字ブロックの上に立っているからと言って他人に配慮がないと断罪するのは、あまりに独善が過ぎます。道はそれぞれが譲り合って使えばいい事です。」
とツィートしたところ、賛否両論を頂きましたので、この問題を整理したいと思います。
まず事実関係として、点字ブロック上に立ってはいけないとか、止まっていてはいけないとかと言う法律はありません。点字ブロックはあくまで任意に作られているものであり、通常の歩行者がそこを通ることも立つことも、法令上の問題はありません。
勿論私は、だから点字ブロックを塞いでいいといっているのではありません。そもそも点字ブロック以前の問題として、道路は皆が使うものですから、皆が使えるように通行しやすくしておくのは当然で、その中でさらに点字ブロックは、視覚障碍者の方に通りやすいようにしておくべきものでしょう。
しかし、ではそれは、視覚障碍者の方の専用道路のように、絶対空けておくべきもので、少しでもそこを塞いでしまったら、現に使っている人がいなくても、「他人への配慮がない人!」と断罪されるような事でしょうか?
私はそうは思いません。そもそも道路は、多くの人が多くの用途で使います。例えば花火大会で多くの人が花火を見上げている時、例えばコンサート会場に多くの人が向かっている時、私達は知らず知らずのうちに点字ブロックを塞ぎ、また自分とは反対方向に向かう人の交通を妨げています。
しかし、知らず知らずに他人の利益を妨げてしまっていても、ある時は相手が譲ってくれ、またある時は、通行に困った人が「道を開けて下さい。」と言ってそれに応じることで、私達は道路を、それぞれにとって有用な用途に使う-時には花火を見上げ、時にはコンサートに出かけることができるのです。
点字ブロックは、そういった相互の譲り合いのなかで、配慮をもって開けておくべきものだと思いますが、同時に、適正な理由がある時には、点字ブロックを使う人に配慮しながら、特に点字ブロックを使っている人がだれもいない場合には、一時的にその上に立ったり歩いたりすることは、私は許容されるべきものだと思います。
ではこのデモの方々はどういう理由で点字ブロックの上に立ったのでしょうか?私はその場にいませんでしたのであくまで推測ですが、点字ブロックは、視覚障碍者の方の安全を考えて、歩道の外側-建物側にあることがほとんどです。おそらくは、デモの方々が、通行の邪魔にならないように建物側によって歩道側を開けようとしたために、点字ブロック上に立つことになったものと思われます。そうやって道を開けた状態で、視覚障碍者の方がもし来られたら、点字ブロックを開けられる状態でいたのなら、私はそれは、許容されることだと思います。繰り返し、それを確認もせず、頭ごなしに「反対運動って自分だけ良ければいいの?」「障害のある方や他者への配慮は関係無しか。」と決めつけるのは独善が過ぎると、私は思います。
私達は誰しもが、多少なりとも他人に迷惑をかけて生きています。しかしそれを譲り合い、許容しあう事で、私達の社会は成り立っています。視覚障碍者の方が道路を安全に歩く権利は当然最大限尊重されるべきですが、同時に私達が時に花火を見上げ、時にコンサートに出かけ、そして時には訴えたいことをデモで訴える権利もまた、尊重されるべきものです。お互い声を掛け合い、譲り合って、それぞれの権利を伴に認め合う社会を目指すべきだと、私は思います。
そのような状況を確かめもせず、点字ブロックを使う人がだれも通っていない状態で、点字ブロック上に立っている人に対して、ただ単にそれだけの事実をもとにして「点字ブロックがふさがれている!!!配慮がない!!!自分だけ良ければいいのか!!!」と断罪することは、繰り返し、もう止めるべきだと、私は思います。
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