前稿の
「スリーパーセル戦法ははたして有効か( http://blogos.c
で記載したところですが、政治評論家の三浦瑠麗氏が、某TV番組で
(三浦氏)「スリーパーセルといわれて、もう指導者が死んだってわかったら、もう一切外部との連絡を絶って都市で動きはじめる、スリーパーセルというのが活動はじめるって言われてるんです。」
(司会者A)「普段潜っている暗殺部隊...」
(三浦氏)「テロリスト分子がいるわけです。それが、ソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも、いま、大阪けっこうやばいって言われていて」
という会話を展開し、その論拠として、
「朝鮮半島を巡るグレートゲーム( http://lullymiu
という、これまた中々な論考を示したことが、物議をかもしました。
その後三浦氏は近日放送された同番組で
「私が3週間前、一生懸命、『4月にアメリカが北朝鮮に先制攻撃する』というのを食い止めようとして、『炎上』したので…。まあ、あんまり炎上発言したくないんですけど…。」
と御発言されました。
三浦氏の当初の「スリーパーセルいる。大阪やばい。」発言を「差別だ」「差別主義者だ」とする批判については、差別を惹起する可能性はありますが、三浦氏にその故意はないと思われ、当たっていないものと思います。
一方で私は、今回の「アメリカが北朝鮮に先制攻撃するというのを食い止めようとした」発言に至ってなお、三浦氏を始め我こそは「現実的」安全保障論者だと自負する方々が、あれやこれや理屈をつけて三浦氏の立論を擁護することを、非常に不思議に思っています。
なぜなら三浦氏の「スーパーセルいる。大阪やばい。アメリカが北朝鮮に先制攻撃するのを食い止めなくちゃ!」という立論こそ、安全保障論的には極めて粗雑かつ非現実的で、日本を危険にさらしこそすれ、およそ日本の安全を高める事にはならないものだからです。
まずもって、世の中には完全な安全はありません。隕石が頭上に振ってくるリスクはゼロではありませんがしかし稀で、従って人は隕石に備えて屋根を防弾鉄鋼で覆ったりはしません。また、隕石ではなくあられが降ってきてそれに当たる可能性は特に雪国にいがたでは全く小さくないのですが、あられに当たってもまあほんの少し痛いだけで、人間は勿論屋根はびくともしません。従ってあられに備えて屋根を防弾鉄鋼で覆う人もまたいません。
安全保障は、安全を確保すべき対象である危険が発生する可能性と、その危険によって生じる被害を冷静かつ現実的に勘案し、かつその危険を防ぐためのコストをも考慮しながら全体としての「最少被害」を目指す考え方です。ただ「スリーパーセルいる。大阪やばい」から「アメリカが北朝鮮に先制攻撃するのを止めなくちゃ!」は、全く全然現実的な安全保障の議論になっていないのです。
そもそも大阪に本当に多数のスリーパーセルがいるという証拠を三浦氏は全く提示できておらず、恐らくそのような証拠はありません。証拠はないにせよ、本当は多数いるのではないかという問いもなされていますが、合理的に考えてその可能性は決して高くないと思われる事は、上記の私の論考「スリーパーセル戦法ははたして有効か( http://blogos.c
更に上記の論考では、仮に戦争が始まった時にスリーパーセルがテロを成功させたとして、その効果が決して高くない事を示していますが、本稿ではこの点を改めて詳述したいと思います。
そもそもテロというのは、平時に行うからこそ、平和になれ切った市民に大きな恐怖を与える事で効果を発揮するものなのですが、実はこれを「戦争被害」―責める側からは「戦果」という観点で見ると、その効果は決して大きなものではありません。
恐らくは史上最も成功したテロと言っていい9.11のテロでさえ、アメリカの被害は、被害に遭った方々には非常に恐縮ですが、「旅客機4機、ビル2棟全壊、1棟1部損傷、死亡者3025人」に過ぎません。繰り返しそれは平時の被害としては極めて甚大ですが、例えば真珠湾攻撃の「戦艦3隻沈没、2隻大破着底、1隻中破、2隻小破、軽巡洋艦2隻大破、1隻小破、駆逐艦2隻大破、1隻中破、標的艦1隻沈没、その他1隻沈没、2隻小破、航空機188機破壊、155期損傷、兵士2345名死亡、民間人68名死亡」と比べれば決して大きなものではありませんし、東京大空襲の「被災家屋26万8358戸、死亡者8万3793人、負傷者4万918人、被災者100万8005人」と比べると、最早桁が1~2つ小さいという事になってしまいます。
つまり、スリーパーセルが何人いようが、ろくな重火器も持たず相互の連絡もないまま単発で行う攻撃は、「戦争」における「軍事的戦果」若しくは「軍事的被害」という観点で見た時、正規軍が戦略目標を狙って組織的に行う攻撃とはあまりに段違いでほとんど問題にならないものだと思われるのです。
だからそのような被害は無視していいと、私は言いたいのではありません。戦争をするかしないか、先制攻撃をするかしないかという意思決定は、仮に戦争をした場合に相手の報復として最も予想される核ミサイルが撃たれる確率はどの程度で、その場合の被害がどの位で、仮に戦争/先制攻撃をしない場合に相手が核をブラフに使って交渉をし、場合によっては外貨稼ぎにその核(若しくは核技術)を第3国に流してその核が第三国での戦争やテロに使われる可能性はどの程度でその被害はどの位かと言った、様々な起こりうる状況の可能性とそれに伴う被害、そしてそれを防ぐための手段とコストを総合的に勘案して、冷静に決めるべきことだと言いたいのです。
そしてそのような議論において、本当に真剣に国の安全保障を考えるなら、噂レベルの根拠しかなく、仮に事実でも実現の可能性は高くなく、万一実現しても「戦争」における被害としては決して大きい訳でもない「スリーパーセル」リスクは、アメリカが北朝鮮に対する戦争/先制攻撃を行うにせよ行わないにせよ、少なくともその主要な理由としてはいけないものなのです。
実際三浦氏の、「私が3週間前、一生懸命、『4月にアメリカが北朝鮮に先制攻撃する』というのを食い止めようとして、『炎上』したので…。まあ、あんまり炎上発言したくないんですけど…。」という意図とは裏腹に、ツイッター上で「スリーパーセルいる。大阪やばい。」発言に賛同する方々の中に、むしろ「スリーパーセル」リスクへの恐怖故に北朝鮮への攻撃を行うべきとの論調が散見されており、この様に根拠のないリスクに対する恐怖を煽る事が、むしろ収拾のつかない混乱を招き、国家の安全保障を害するものである事が、部分的に立証されつつあるように思われます。
以上三浦氏の議論は、スリーパーセル戦法を実行する際の相手方のロジスティクスを考えず、仮にそれが実行された場合の被害の「戦時における評価」を考えず、その当然の帰結としてスリーパーセル戦法を防ぐための方法やコストも全く考えず、いわんや氏の発言によって疑心暗鬼に陥った一般市民間で暴動が起こるリスクとそれを鎮静化するためのコストになぞ思いも及ばず、ただ単に「スリーパーセルいる。大阪やばい」から「『先制攻撃をする』というのを食い止めよう」という非論理的な集団心理に訴えて戦争/先制攻撃の是非という極めて重大な意思決定をすべきという、まさに平和が大前提の平和ボケした非現実的安全保障論議の典型であって、三浦氏を始め我こそは「現実的」安全保障論者だと自負する方々が本当に「現実的」安全保障論者なら、本来真っ先に厳しく批判すべきものだと私は思います。
ではなぜ、三浦氏を始め我こそは「現実的」安全保障論者だと自負する方々はこの様な平和ボケした非現実的安全保障論議をしているのでしょうか。私は、本稿の冒頭でこれを「非常に不思議に思っています。」と書きましたが、実の所本当はそう不思議でもなく、「彼らの従前の主張からは当然の帰結かもしれない。」と思うところがあります。
日本の国家の安全保障が最も脅かされた三大事件を挙げろと言われれば、多くの人が、①元寇②黒船来襲③太平洋戦争 を挙げると思いますが、中でも軍民併せて300万人もの死者を出した太平洋戦争は日本の安全保障にとって最大の危機であったことに異論のある人はいないでしょう。
現実的に日本の安全を保障したいなら、当時の①ロジスティクスを無視した精神論的作戦立論 ②戦果や戦争被害を客観的に評価することのない過度に楽観的な見通し ③ ①②に立脚した論理性の欠如した集団感情に基づく意思決定 を避ける事こそが何をもっても実現すべき最大の課題だと、私は思います。
にもかかわらず、三浦氏を始め我こそは「現実的」安全保障論者だと自負する方々は、戦前への郷愁を隠す事無く、戦前を「今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えて」おられます( http://www.toky
「幽霊の 正体見たり 枯れすすき」。あの、日本の安全保障にとって最大の危機を生み出した時代と生み出した思考の是非を真剣に検証することなく漫然と肯定し、そこへの郷愁を隠す事無く回帰を望む方々は、実際は「現実的」安全保障論者でもなんでもなく、誰よりも平和ボケした「非現実的戦前昭和枯れすすき型安全保障論者」に過ぎなかったという事だと、私は思います。
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