私は同級生をいじめたことがあります。私の心の中ではそれは、「付和雷同してやった」ものだったのですが、その子から見たらそんなことは何の意味もないことだったでしょう。言い訳じみますがこのことは私にとってはずっと心の重荷になっていて、その子に謝ることができた時には、ずいぶん心が軽くなったものです。勿論それはあくまで私にとってであって、その子にとっては、心の中の傷は残ったままだったと思います。あの時の私は、絶望的に浅薄で、愚かでした。
その私が言うのもどうかとは思いますが、昨今、いじめによる子供の自殺が大きな問題になっています。報道されているような痛ましい事件をなくす為に、私達に何ができるでしょうか。
当時の私のような愚かな行為をなくす為に、子供達にきちんと心の教育をすることが第一なのは勿論でしょう。しかし、残念ながらそれだけでいじめを根絶することは、出来ないと思います。又、教育が効果を発揮するには時間がかかり、今いじめに苦しんでいる子供には、役に立たないでしょう。大人がいじめを察知して対策を打つことも重要ですが、察知できる範囲には限界はあるでしょう。子供は時に大人が思っている以上に、残酷で、狡猾です。多くの場合いじめは隠匿され、微温的な対策の陰で遷延してしまうと思います。
しかしこの解決の困難さこそが問題の本質であり、これに正面から取り組まなければならないと、私は思います。現状を放置しては、被害者の子供達が、「誰に、何を相談してもいじめはそう簡単に終わらない。『自殺』のみが唯一即効性と具体性のある解決法だ。それなら、この手段を選ぶしかない。」そう思ったとしても、無理はありません。
そうであればこの問題を解決するには、「いじめを即時に、実行力を持ってとめる手段」を、被害者の子供達に提供するしかないと、私は思います。一学期に一回で良い、先生は生徒に、封をできるアンケートを出してもらって、いじめの被害者や周りでそれを見て心を痛めている子供達が、誰にも知られずにいじめの問題を訴える機会を作る。そして、その訴えを受けたら先生は、問題を調査し、実際にいじめがあったならば、「話し合い、休学、停学、警察への連絡」と段階を踏みつつ、直ちに実行力のある措置を講じる(隠匿が論外なのは、言うまでもありません)。担任の教師がこれを行うことが困難なら、この問題について専任の担当を選ぶ。また実行力のある措置を講じる権限を、教師若しくはその担当者に与える。やや極端に聞こえるかもしれませんが、追い詰められた子供達が「自殺」ではない選択肢を選ぶには、こういった「強い措置」を導入することが必須だと、私は思います。そしてこの「実行力のある措置」は、実のところ小賢いタイプの多いいじめる側がもっとも恐れることであり、強いいじめの抑止力を持つでしょう。
何よりもいじめなどそもそも起こらない全人的教育をしなければならないことは、論を待ちません。しかし、それと同時に、今いじめに苦しむ子供を現実に救う為に、極端に見える措置も勇気を持って導入する、その覚悟が大人に求められているように思います。
米山さん 学校でのイジメの原因のひとつは、日教組にあるのは明白です。 この日教組が、民主党のスポンサーです。 日教組とコネ採用が、教師の質を落としたのは明白です。 米山さん、日教組を打倒し、コネ採用を潰してください。
ゴーレムさん、コメント有難う御座います。 いじめ問題を始めとして学校における諸問題に対処するのに教師の質は非常に重要です。質を確保する為には、不適格と判定された方は残念ながら免職とする制度の整備は不可欠で、その意味でご指摘の労組関係の法整備は確かに必要だと思います。又教員採用の不透明性はかねて噂されているところで、ご指摘の通り、この点についての透明性の確保も教師の質の確保に必須のことでしょう(それは教育委員会のあり方の議論にもつながります)。 ただ、あらゆる問題に共通することですが、現場に問題があったと言うことは、それを管理する側にも大きな問題があったと言うことだと思います(現場の責任を取るからこそ、管理職は管理職たる意義があります)。各校の校長、そこを管理する教育委員会、更には文部省、内閣にいたる責任者の全てが、今すぐ、自らの責任で、「いじめ」を始めとする教育問題の改革に当たる必要があると私は思います。大人が自らの責任を果たすことを示すこと、それこそがもっとも端的な「心の教育」であると、私は思います
いじめた人がいうのはおかしくないですか?私は昔いじめられていました。今でも夢を見ます。いじめられた側は何十年たってもこう思うんですよ!
なこさん、コメント有難う御座います。 ご指摘はもっともです。それでも、私は、「黙っているよりは言うべきだ」と思います。例えその資格がなくても、例えその力はなくても、それでも黙っているよりは現状を変える可能性があると思うからです。 このブログを書いた後、いじめによる自殺が連鎖しています。私は先に書いたとおり、教育現場は速やかに、「実行力のある対策」−停学、休学、警察への通報を含んだ対策をとる体制を、整えるべきだと思います。 それと同時に、そんな資格はないけれど、それでも私は、いじめられている子がいたら、敢て言いたいと思います。「死んでは、いけない。諦めては、いけない。今なら、貴方が勇気をもって訴えれば、きっと助けてくれる人がいる。いじめている側も、貴方が思っているほど強くはない。彼らも、内心では自らの矮小さがさらされることに怯えている。彼らは、貴方の勇気を、心から恐れている。」と。 この痛ましい連鎖が終わることを、心より祈ります。
いじめられ追い詰められ自死を考えているような子供に対して
>「死んでは、いけない。諦めては、いけない。今なら、貴方が勇気をもって訴えれば、きっと助けてくれる人がいる。いじめている側も、貴方が思っているほど強くはない。彼らも、内心では自らの矮小さがさらされることに怯えている。彼らは、貴方の勇気を、心から恐れている。」
このような問いかけは例え正論であっても絶対にやめてください。
彼らは想像を絶する鬱状態にあります。
大人でも鬱病の患者に対して「がんばれ」は最大のタブーです。
そもそもいじめられている子は彼らなりに最大限の努力と最大限の譲歩をした後に絶望するのです。最大限の勇気を振り絞ってシグナルを発し、結果に絶望しているのです。
彼らに必要なのは励ましではなく安心して逃げ込める場所です。
本来地域コミュニティや親類家族のコミュニティがそれを担っていましたが、核家族化や地域コミュニティの希薄化が進む現在では期待できませんので、別の学校へ移ることでいじめを回避できる安倍首相の教育バウチャー制度にいじめ問題解決の切り札として期待しています。
いじめ問題についてはこちらをぜひお読みになってください。
http://www.amaz
DemonstrationPa
お返事ありがとうございます。 >しかしそれでも、言葉は間違っているかもしれませんが、「逃げ出す勇気」「助けを求める勇気」を持つことを、何とか伝えなければならないと、私は思います。それを教えることなくしては、この問題の解決は不可能であるように思えるからです。 「逃げ出す勇気」「助けを求める勇気」を持つことが大事であるというのには全く賛成です。 ですが、では一体彼らはどこに逃げ出すのですか? 彼らの選択可能な学校は多くの場合現在通っている学校しか無いでしょう。不登校は逃げ道足り得ますが将来を考えたら袋小路でしょう。 また助けを求めて「先生を始めとした大人」の介在を行うことはいじめの解消につながるとの考えには正直賛成できません。大人の目に触れなくはなるでしょうが。 本質的に教育バウチャーとは関係の無い制度であるというのは勿論ですが、いじめの被害者である子供が自らの意志で別の学校を選択できるという事は「いじめの解消」には継らないながらも「いじめによる自殺」を減少させると期待して良いのではないかと思います。 >日本社会のありかたが問われている その通りだと思います。 ですが社会は残念ながら一日で豹変するものではありませんので、社会が変わるまで、せめて自殺しなくてもすむ「環境」を彼らに用意してあげる事が必要なのだと思います。
>>ゴーレム
何でもかんでも民主党批判に持っていくなよ。
ほんと呆れる。
そんな事ばっかり言ってると無党派票の獲得なんて夢のまた夢ですよ。
米山さんの足を引っ張ってる事に気付きましょうね。
市民さん、コメント有難う御座います。
「何でも日教組批判」は確かにあまり生産的でないと、私も思います。しかし一方で、教育よりは自らの主義を主張することに熱心な先生方にも、反省の必要がある事は否定できないと思います。
質の高い教育は、質の高い教師によって実現します。教師も行政も、その責任を自覚してより良い教育の実現に努力すべきときだと、私は思います。
最近のコメント一覧