ニュースの感想
話題の事業仕分けにおいて、現在理化学研究所が技術開発を進めている次世代スーパーコンピュータに対する予算の計上見送り/削減が結論づけられました。仕分け人達の言い分は「国民の目線で言うと世界一にこだわる必要があるのか」とのことです。
私は民主党政権で著しいこの「国民目線絶対主義」とも言える風潮に、強い危惧を覚えます。「国民目線」に立つなら、確かに出来るか出来ないか分からない「世界一」に挑戦し、その上例え世界一になってもおそらくは1年以内に又別の国に抜き去れるよりも、開発費545億円で学校でも病院でも作った方が良いのかもしれませんし、もしかしたらこの際例によって国民一人あたり500円ほどばらまいた方が、それでも夕ご飯の足しにでもなるのかもしれません。しかし本当にそれで、「国民目線」にはないような挑戦を一切避け、ひたすら「『一般』国民の望む」事を行うだけで、日本という国は発展するのでしょうか?
人は、「限界」に挑んではじめて、新たな発見をし、成長することが出ます。それは、社会でも国でも、同じ事です。そして、エリート主義を振りかざしたいわけでは全くありませんが、多くの人が「限界」と思っているその先に、挑戦する価値のあるフロンティアを見いだし、そこに向かって挑み続けることができる人は、何時の時代でも少数派です(だからこそフロンティアはフロンティアであるわけです)。私はフロントランナー達の「世界一」への挑戦は、もし仮にそれが失敗に終わっても、もし仮に達成した1時間後に他国に抜き去られても、日本を発展させる大きな原動力になると信じます。
そしてもし逆に、日本が多数派の幸福ばかりを優先させて、少数のフロントランナーが未来を切り開くことの意義を認めない社会になってしまったら、挑戦者が挑戦する機会も喜びも得られない社会になってしまったら、日本からは発展も成長も失われてしまうと危惧します。その時日本は過去の遺産を食いつぶすだけの社会になり、諸外国に追い抜かれて現在の経済的繁栄は、あっという間に無くなるでしょう。
誤解を恐れずに敢えて言いたいと思います。「国民目線」を絶対視し、それを振りかざすだけなら、「政治家」は不要です。政治家は、「国民目線」を超えた「国家のリーダーとしての目線」で、国家の挑むべきフロンティアを見いだし、「国民目線」と両立させながら、そこに国民を引っ張っていかなければなりません。
民主党の皆さんにも鳩山首相にも、日本のために是非堂々と「リーダーの目線」を発揮していただきたいと、私は思います。
同意です
たぶん…彼は足元の100円玉を拾うことを選んだんです
10歩先に帯封の100万円があるの(例えが下手ですいません)
天然資源のない日本にとって、
技術こそが唯一の資源だと思ってましたが…
どうやら現政権にとっては違ったようですね
無駄を省くのには大賛成です
が、贅肉じゃなく筋肉を落としてるような気がしてなりません
というより…大学院を卒業して就職先なかったらどうしよう…
非線形なんか選択するんじゃなかった…
財務省官僚主導の「事業仕分け」のドコが脱官僚支配?とツッコミたくもなりますが、税金の使い道が白日の元に明らかになった事は評価に値すると思います。
ノーベル賞(イグノーベル賞もですが)を日本人が受賞すると我々凡人は日頃思いもよらない分野の聞いた事もなかった研究の将来性を初めて知り、夢を感じます。(逆に言えば権威に評価されない事には興味さえ持ちません)
「オワンクラゲ捕ってばかり」の瞬間を見たら下村脩博士は「無駄使いの象徴」でしかなく研究の目的や可能性の意義さえ知らずに「はい!無駄ですよ!」と研究費を切られてしまった訳です。
歩幅の大小に差異こそあれ、学問を以て進歩・改善に挑む研究の機会を消してゆく事が国の仕事だとはとても思えません。義務教育から始まった教育の先に有る学問の未来を閉ざす事は日本の未来を閉ざす事に等しい。
教育の先にある先端研究に「経済効率」を求めるならば、凡そ経済効率を無視した「子供手当て」こそ事業仕分けすべきでしょう。
全くもって同感です。
以前、ある学校教師が言っていた言葉を思い出しました。
「子供の目線に立った教育なんて嘘っ八。同じ目線に立ったら教えることなんて出来ないよ。子供の目線を理解することは大切だけど、教育者は絶対にそこまで下りて行っちゃいけないんだ。」
この問題、それと同じ気がします。
政治家というのは国民を代表して国政を取り仕切り、国を引っ張っていくリーダーです。
国民の目線を理解することは必要でしょう。
しかし、必ずしも国民の目線に立つ必要があるのでしょうか?
国民目線に立ち、国民目線で政治を行うだけではそれはただのポピュリズムに過ぎません。
必要であれば国民に対して痛みを受け入れてもらう、無駄に終わるかもしれないけどその無駄を費やすことで目に見えない意義が出てくる。
国民目線を理解した上で、そういったことをしっかりと説明するのが政治家の役割です。
専門家の見識に対して「国民目線」を振りかざして素人受けするパフォーマンスに終始している民主党はもはや民主主義も政党の使命も捨てた無頼の党に成り果てたとしか言いようがありません。
米山先生。
上田泰己という生命科学者をご存知でしょうか?
現在理化学研究所にて体内時計の研究をされており、その世界では若手第一人者として認知されてきている方です。
先生の大学学部の後輩であり、私の高校の先輩になる方で、高校時代から実績のみならず人望も非常に厚い方です。
今回の件に関して上田さんの生の声がここにあります。
http://mercury.
余計なお世話であるのは百も承知ですが、ステレオタイプといってよい工夫と先見の明も感じられない定量化のみの測定による事業仕訳という施策に強い危機感を抱いたため、上記のリンクを残させていただきました。
ミクロの世界では4半期決算が導入され、目の前の利益を実現しないといけないことが多くなっています。たとえば、株式などのディーリングの世界では本当に取りたい1000円よりもデイトレードで動く目の前の100円を取りに行く傾向があります。その証拠に、ここ数年の金融市場の値動きは、言葉は悪いですが、目の前のボールばかりを追い求める「子供のサッカー」に近いものがあります。そのようなプレーヤーが多い相場ではひとたびリーマンショックのような大きなパラダイムシフトが起こると必要以上の混乱を招いてしまうのではと感じています。
一方でマクロの世界で舵を切るMOFAやBOJ(さらにその上にいる財務大臣等)はこの事実を認識できているのかどうか疑問に思うことがあります。
「国民目線」に固執しバランス感覚を失った政権は国をミスリードし、さらにミクロレベルでのこの傾向はマクロの視点で見たときに必要以上の合成の誤謬」を生んでしまいそうな気がしてならないのです。
上田さんと同じ結論になってしまい些か恐縮ですが、「10年先のために」政治に期待しますし、上記のようなことを分かってくれるような人が政治家であって欲しいと切に願っています。
聞かせてやりたい、魚沼の大平市長に↓
「市民目線」を絶対視し、それを振りかざすだけなら、「市長」は不要です。市長は、「市民目線」を超えた「市のリーダーとしての目線」で、市の挑むべきフロンティアを見いだし、「市民目線」と両立させながら、そこに市民を引っ張っていかなければなりません。
みゆきさん、長岡市民(ノリ)さん、しげさん、ぶるみさん、魚沼氏を憂う住民さん、コメントありがとうございます。最近レスポンスが遅くて申し訳ありません。
事業仕分け、さまざまな課題を残しながら終わりましたね。事業仕分けそれ自体はとるべきところも多々ある手法だと思うのですが、問題はいかに戦略性を持ってそれを実行するかということでしょう。
既得権益というか、過去のしがらみというか、高度成長時代の成長戦略に囚われて新たな戦略を打ち出せずにいた自民党は民主党から「過去との決別」の手法を大いに学ぶべきですし、まったく成長戦略なきまま海図なき航海に乗り出そうとしている民主党は是非日本の為に、「戦略を持って国を引っ張っていく」ことを学んでほしいと思います。
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