お知らせ
平成29年11月28日付で、松井府知事が私のツイートで名誉を棄損されたことを理由として500万円の損害賠償の請求を求めていた事件の控訴審で、ほぼ高裁の提示した通りの内容で和解が成立しましたので、ご報告致します。
和解内容は以下の通りであり、賠償義務も守秘義務もありません。本件はもとよりその様な案件である事が明白であったものであり、大阪高裁においては、極めて妥当な和解案を提示して頂けたものと思います。
-----和解条項-----
1 控訴人と被控訴人は,本和解によって,控訴人と被控訴人との関係が円満に解決されたので,今後,お互いに相手方に対し誹謗,中傷にわたる違法行為を一切しない。
2 控訴人と被控訴人は,本件訴訟手続きを終了させることを合意する。
3 控訴人及び被控訴人は,控訴人と被控訴人との間には,本件に関し,本和解条項にさだめるもののほかに何らの債権債務がない事を相互に確認する。
4 訴訟費用は第1,2審を通じて各自の負担とする。
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一方、この様な事案にこれほどの時間とエネルギーを費やしたことに、正直に言って強い徒労感を禁じえません。
特に1審判決(一審判決.pdf )は、その結論はともかくとして、私から見ると判決の論理が内部で矛盾しており、途中までは妥当な立論であったものが、結論を導き出す段になって突如無理矢理論理を捻じ曲げて原告勝訴の結論を導き出したように思えるものでした。
この判決はあまりにもひどいものであったと私は思いますので、マスキングをしたうえでアップさせていただきます。
また、私が大阪高裁に提出した控訴理由書を以下に公開させていただきます。
私はどのような立場であれ、言論の自由というのは適切に守られるべきものであり、殊に公職者に対する適切な意見・論評としてなされた言論を、応訴や賠償請求の負担によって委縮させることは決してあるべきではないものと思っています。
尚余計な一言にはなるのでしょうが、一体全体誰が、本当にこの事案で最終的に勝ちうると思っていたのか、私は、極めて強い疑問を感じます。
控 訴 理 由 書
以下,本控訴に及んだ理由を述べる。略号は原審の訴状ないし準備書面の例による。
第1 事案の概要
本件は,平成29年10月28日に,控訴人が「因みにこの『高校』は大阪府立高校であり,その責任者は三浦さんの好きな維新の松井さんであり,異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景と随分似ていて,それが伝染している様にも見えるのですが,その辺全部スルー若しくはOKというのが興味深いです。」(以下「本件投稿」という。)とツイッター上に書き込んだところ,被控訴人が,被控訴人の社会的評価を低下させたとして,同年11月28日に,500万円の賠償を求める訴訟を提起したものである。
第2 各争点についての控訴人の主張,原判決及び原判決に対する反論
原審において整理された争点における控訴人の主張及びこれに対する原判決の要旨,及びこれに対する控訴人の反論は,以下の通りである。
1 争点1 本件投稿部分の主語が原告であるか
(1) 控訴人の主張
本件投稿の「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足する眼前光景」という表現(以下「本件恭順表現」という。)の主語は被控訴人である旨は示されてはいない。むしろ主語は訴外橋下徹(以下「訴外橋下」という。)であることが明らかである。すなわち,平成29年10月24日に,日本維新の会に所属し,その後離党届を出した後撤回することとなる丸山穂高議員(以下「訴外丸山」という。)が,日本維新の会の代表である被控訴人に代表選を促す旨のツイートをした所(乙33 ないし乙35),翌10月25日に,原告が代表を務める日本維新の会の創設者であり,当時日本維新の会の法律政策顧問であった訴外橋下が,訴外丸山をツイッターで複数回にわたって激しく罵倒し(乙36ないし乙43。以下「本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実」という。),これを理由に10月26日0時08分に日本維新の会の法律政策顧問を辞任し(乙45),同0時13分に被控訴人が訴外橋下と話した上,大坂維新の会とはこれまで通り付き合う旨認めた(乙46)という事態がツイッター上で公表されるとともに報道され(乙29),公知の事実(以下「本件日本維新の会に関する公知の事実」という。)となっており,本件恭順表現における「眼前の光景」は本件日本維新の会に関する公知の事実であり,本件恭順表現の主語は訴外橋下であった。
この事は,本件投稿の4時間後に控訴人が「どこにも松井さんとは書いていないのですが…。」等と説明したことによって(以下「本件解説投稿」という。),一層明らかとなっている。
(2) 原判決
これに対して原判決は,本件投稿に個人の名前として被控訴人の名前が記載されている事,「その責任者は三浦さんの好きな維新の松井さんであり」と,「異論を出したものを叩き潰し党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景と随分似ていて」の部分が読点で区切られていても,主語が明示されていなければ通常その文の主語は前の文の主語と考えられる事,また被控訴人は,現職の大阪府知事であり,日本維新の会の代表者であるから本件恭順表現の主語と表現されても不自然でなく,被控訴人のツイートのコメント欄にも被控訴人を主語とすることに同調する記載があることから,一般の閲覧者の注意と読み方を基準として,本件恭順表現の主語は被控訴人だと認められると判示した。
(3) 原判決の誤り
しかしながら,上記原判決は,以下の通り誤りである。
まずもって,原判決は「主語が明示されていなければ通常その文の主語は前の文の主語と考えられる」と理由を示さず断定しているが,その根拠は示されておらず,複文構造で書く場合は、主語が句点以下で異なることも通常であることを看過している。
また原判決は,「被控訴人は,現職の大阪府知事であり,日本維新の会の代表者であるから本件恭順表現の主語と表現されても不自然でな」いと判示するが,それはすなわち,本件恭順表現の主語を理解するためには,被控訴人が大阪府知事であり,日本維新の会の代表者であるという背景事情を理解している事を要することを意味し,「主語が明示されていなければ通常その文の主語は前の文の主語と考えられる」との判示と矛盾する。その上で,被控訴人が,維新の会の代表者であるとの事情を知っているものにとっては,当然本件日本維新の会に関する公知の事実もまた背景事情として知っているはずであり,本件恭順表現の主語を解釈するうえで,被控訴人が維新の会の代表者であるとの事情のみが用いられ,本件日本維新の会に関する公知の事実が全く用いられないというのは一貫していない。
本件恭順表現の主語は原判決も認める通り示されておらず,そうである以上,単純に読点で区切られた前の文の主語と同じと断定できず,文章全体の論旨や背景事情から主語が判断されるべきであるが,訴外三浦瑠璃(以下「訴外三浦」という。)の投稿を受けてなされた本件投稿の全趣旨,原判決自体が本件投稿の主語を理解するのに必要であると判示する被控訴人が日本維新の会の代表者であるとの事情及び,本件日本維新の会に関する公知の事実からは,本件恭順表現の主語が訴外橋下であることは,一般の閲覧者の注意と読み方を基準として当然理解できる事である。
尚原判決は,本件解説投稿は,何ら本件投稿の解釈に影響しない旨判示するが,ツイッターは140字という字数制限もあり,複数のツイートで意味が初めて通ることもあるのであって,この判断もまた誤りである。
更に原判決は,被控訴人のコメント欄にある,本件恭順表現の主語が被控訴人であると主張するコメントを根拠として採用しながら(原判決・12頁15行ないし19行),控訴人のコメント欄にある,本件恭順表現の主語は被控訴人でないとのコメントは,時期が遅く一連の投稿を参照としたものであるから根拠とならないと判示するが(原判決・12頁19行ないし13頁3行),その事情は被控訴人のコメントについても等しく当てはまる上,そもそも被控訴人,控訴人のコメント欄のコメントは,政治家である被控訴人,控訴人のそれぞれの支持者が自らの政治的信条にのっとってコメントしているものと解され,これを「一般の閲覧者の注意と読み方」を理解する根拠とすること自体が誤りである。
以上,本件恭順表現の主語を被控訴人とする原判決は何ら理由のないものであり,直ちに破棄されるべきものである。
2 争点2 本件投稿の主語が被控訴人であるとして,事実を適示したものか論評に留まるか
(1) 控訴人の主張
控訴人は,仮に本件投稿の主語が被控訴人であるとしても,本件投稿は論評に留まる旨主張した。
(2) 原判決
これに対して原判決は,本件投稿の主語が被控訴人であるとしても,本件投稿は,「党の方針に異論を唱えるものに党の創設者が反論すること」という事実に対し,その党の代表者たる原告の姿勢を「異論を出したものを叩き潰し党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」と否定的に評価して表現した論評である旨正しく判示した。
3 争点3 被控訴人の社会的評価の有無について
(1) 控訴人の主張
控訴人は,本件投稿の,本件恭順表現の主語は被控訴人ではないから,本件投稿は何ら被控訴人の社会的評価を低下させるものではない旨主張した。
(2) 原判決
これに対して原判決は,上記1(2)に記載した通り,一般の閲覧者の普通の注意と読み方を基準として,本件恭順表現の主語は被控訴人であるから,本件投稿が被控訴人の社会的評価を低下させる旨判示した。
(3) 原判決の誤り
しかしながら,本件恭順表現の主語が被控訴人でない事は,上記1(3)に記載した通りであるから,これを見逃してなされた原判決は何ら理由のないものであり,直ちに破棄されるべきものである。
4 争点4 違法性阻却自由の有無について
(1) 控訴人の主張
違法性阻却事由の有無に付,控訴人は以下の通り主張した。
最高裁判所判例(平成9年9月9日最高裁判所判決 判時1618号52頁)は「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである。そして、仮に右意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において右事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である。」(以下「平成9年9月9日最高裁判例」という。)と判示し,①本件投稿が公共の利害にかかり,公益目的でなされたものであり,②本件投稿が前提としている事実が重要な部分について真実であるか,真実であると信ずるに相当の理由があれば故意または過失は否定されるものと解される。
ここで,①について,本件投稿が公共の利害にかかり,公益目的でなされたことは明らかである。
次に②について,争点2の原判決で示された通り,本件投稿は,「橋下が,丸山議員をツイッター上で複数回にわたって罵倒するという事態に対し,代表者としてその事態を知って止め得る立場であったにもかかわらず,橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,党に対する不当な介入であり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりすることなく『看過した。』」という事実に対し,当該被控訴人の姿勢を「異論を出したものを叩き潰し党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」と否定的に評価して表現した論評であるから,本件投稿が前提としている事実は,「橋下が,丸山議員をツイッター上で複数回にわたって罵倒するという事態に対し,代表者としてその事態を知って止め得る立場であったにもかかわらず,橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,党に対する不当な介入であり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりすることなく『看過した。』」事であり,真実であるから,違法性は阻却される。
(2) 原判決
これに対して原判決は,論評である本件投稿の前提事実を,「橋下が,丸山議員をツイッター上で複数回にわたって罵倒するという事態に対し,代表者としてその事態を知って止め得る立場であったにもかかわらず,橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,党に対する不当な介入であり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりすることなく看過した」事であるとした上で(原判決・18頁1行ないし7行),「原告が橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりしなかった」と認定しながら(原判決・18頁19行ないし21行),「何もしない事と,看過・容認しているということは,事実として異なるものである。」(原判決・18頁22行ないし23行)とし,被控訴人が「看過・容認していたとの事実が真実であったとは認められ」ず(原判決・19頁20行21行),被控訴人が「看過・容認していたとの事実が真実であると信ずる相当な理由があったとは認められない」(原判決・20頁・10行ないし12行)旨判示した。
(3) 原判決の誤り
しかしながら,原判決は,以下の通り,明らかな誤りである。
ア 規範のあてはめにおける前提事実の誤り
まずもって原判決は,規範鼎立の段階では,判断の対象たる意見ないし論評の前提事実を,「橋下が,丸山議員をツイッター上で複数回にわたって罵倒するという事態に対し,代表者としてその事態を知って止め得る立場であったにもかかわらず,橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,党に対する不当な介入であり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりすることなく『看過した。』」(原判決・18頁1行ないし7行)事として,当該事実が真実であるか否か又は真実であると信ずる相当な理由があるか否かを検討するとしながら,その当てはめの段階においては,「原告が『看過・容認』していたとの事実が真実であったとは認められない。」(原判決・19頁20行ないし21行)としており,判断の対象である前提事実が「看過」から「看過・容認」に変化している。
ここで,「看過」とは,「(他人の困苦や好ましくない社会現象を)見知っていながら何ら対策を講じないで放っておくこと。」(乙47)であり,被控訴人が本件報道された日本維新の会公知の事実を知っている以上,知って「何もしない事」と「看過している事」は全く同じ文意であり,証拠によって決せられる事実である。
これに対して「容認」とは,「(本来認めてはならない事を)それで良いと許すこと」(乙48)で,「看過」とはニュアンスが異なり,ある人物が,ある事態を認めながらこれに対して,ある程度「よい」と評価して許す事を示すが,当該事態をどの程度「良いと許し」たら「認容している」といえ,どの程度「良いと許し」ていなかったら「認容していない」といえるかは証拠によって決められるようなことではなく,「事実」ではなく「評価」である。
従って原判決は,規範鼎立段階では真実であるか否か又は真実であると信ずる相当な理由があるか否かを判断すべき対象として「看過」という事実を掲げながら,あてはめ段階において「看過・容認」という「評価」を判断の対象としてしまっているのである。
より具体的に原判決は,「党の所属議員と第三者との間の私人間の問題に代表者が何らかの行動をとらなかった場合,代表者が看過・容認しているとの評価を受けうると信ずる相当な理由があったと認めるに足りる証拠はない。」と判示する(原判決・20頁7行ないし10行)。
上記判決自体,「看過・容認」が事実ではなく「評価」である事を端的に認めている。ここで,ある事実に対する証拠等による証明になじまない物事の評価こそがすなわち論評そのものであり,本件恭順表現の主語が被控訴人であった場合,本件投稿は,本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実に対して何らの行動をとらない被控訴人について,被控訴人は当該状況を「看過・容認」していると,控訴人が「評価」した論評なのである。
従って「看過・容認」はそもそも真実であるか否か又は真実であると信ずる相当な理由があるか否かを判断するべき対象たる前提事実ではなく評価であって,真実であるか否か又は真実であると信ずる相当な理由があるか否かを判断すべき前提事実はあくまで,訴外橋下訴外丸山罵倒の事実を知りながら,被控訴人が「橋下に対し,公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりしなかった」(原判決・11頁10行ないし12行)という事実である。かかる事実が真実である事については争いがなく,原判決も認定している以上,違法性阻却事由が存在することは明らかである。
イ 事実認定の誤り
仮に,「党の所属議員と第三者との間の私人間の問題に代表者が何らかの行動をとらなかった場合,代表者が看過・容認しているとの評価を受けうる」事が前提事実であったとしても,「党の所属議員と第三者との間の私人間の問題に代表者が何らかの行動をとらなかった場合,代表者が看過・容認しているとの評価を受けうると信ずる相当な理由があったと認めるに足りる証拠はない。」(原判決・20頁7行ないし10行)との事実認定は,以下の通り明らかに誤っている。
まずもって訴外橋下は,誰もが知る通り日本維新の会創設者であり,かつ本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実の時点で日本維新の会の法律政策顧問を務めており,何ら「第三者」ではなく,党の関係者であり,両者の争いは,被控訴人が責任を持つべき日本維新の会党内の争いである。実際日本維新の会の国会議員である訴外足立康史(以下「訴外足立」という。)も,訴外橋下が日本維新の会に介入することを当然として「丸山さんが勘違いしているから,創業者が指導している。普通じゃない?」とツイートしている(乙44)。この点において,そもそも原判決の事実認定は誤っている。
また被控訴人は,平成29年10月26日0時8分の訴外橋下の「先ほど松井さんと話しまして,日本維新の会の法律顧問を辞しました。大阪での大阪維新の活動を理解することなく,ふざけた物言いをする国会議員がいるところと付き合うと精神衛生上良くないので。僕はちっちゃい人間ですから,こういう国会議員が一番嫌いなんです。」というツイート(乙45)を引用したうえで,同0時13分に「先ほど橋下さんと話しまして,大阪維新の会とは,これまで通り付き合うと合意いたしました。」とツイートしている(乙46)。
この乙46のツイートは,訴外丸山に対する非難を含む訴外橋下の乙45のツイートを何ら否定せずに相応の賛意を示したものと理解でき,このツイートから被控訴人は,明らかに本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実を看過・容認していたものと考えられるし,少なくともそのような評価を受けると信ずる相当な理由がある。この点においても原判決の事実認定は誤っている。
尚原判決は「原告が看過・容認していたとの事実が真実であったとは認められない。本件投稿後の事情ではあるが,離党届を提出した丸山議員に対して日本維新の会幹事長が慰留していること(前記1(3)ウ)も,原告が橋下の行為を看過・容認していたわけではない事を一定程度裏付けるものといえる。」(原判決・19頁20行ないし25行)とするが,被控訴人ではない日本維新の会幹事長が,本件投稿の後に訴外丸山を慰留した事情は,何ら本件の理解には影響を与えないはずであり,全くの失当である。
以上,被控訴人は,乙44のツイートからも明らかなとおり,被控訴人が責任を持つべき日本維新の会の党内の争いである本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実について,乙46のツイートに示される通り,これを看過・容認していたものと考えられるし,少なくともそのような評価を受けると信ずる相当な理由があるから,違法性阻却事由が存在することは明らかである。
ウ 小括
以上原判決は,規範の鼎立段階とあてはめ段階で規範を変更し,前提「事実」ではなくその「評価」である「看過・容認」を前提事実として,これが真実であるか否か又は真実であると信ずる相当な理由があるか否かを論じている。これはすなわち,上記平成9年9月9日最高裁判所判決が事実の適示と意見ないし論評を区別し,意見ないし論評においては,その前提となる事実が重要な部分について真実か真実と信ずるについて相当な理由があれば違法性が阻却されるとして言論の自由を保護した趣旨を全く無にするものであり,到底維持されるべきものではない。
また,仮に被控訴人が本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実を「看過・容認」していることが前提事実であったとしても,上記イ記載の通り,本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実は,何ら被控訴人が代表を務める日本維新の会の議員と第三者との争いではなく,被控訴人が責任を持つべき日本維新の会の党内の争いであり(乙44),かつ被控訴人が自らしるしたツイート(乙46)から,被控訴人は訴外橋下訴外丸山罵倒の事実を看過・容認していたものと考えられるし,少なくともそのような評価を受けると信ずる相当な理由がある。
以上,原判決は規範のあてはめにおいて前提とする事実を誤った上,更に誤った事実認定に基づく何ら理由のないものであるから,直ちに破棄されるべきものである。
5 争点5 原告の損害について
原判決は,本件投稿は過失の不法行為であり,公人である被控訴人に対する論評であり,その表現の自由は特に保護されるべきであり,更に本件は公人間の紛争であり,被控訴人は控訴人に対してツイッター上で反論することにより自己の名誉を回復することが容易であったり,実際に本件投稿後被控訴人が反論したのに対して本件投稿部分が被控訴人に対する論評ではないと控訴人が釈明したことによって,原告の社会的評価の低下の拡大が防がれ,その評価が一定程度回復しているとしながら,尚その損害を30万円と評価する。
しかしながら,原判決も認定するとおり,本件投稿は,本件投稿の記述者である控訴人において何ら被控訴人を主語と意図せず,従って被控訴人を何ら主語として示さず,公共の利害に関する事実について,公益目的で行ったものである。原判決が認定する名誉棄損は,控訴人にとって,意図も示していない,自らの意に反する,第三者の解釈に過ぎない。この様に,何ら本人が意図せず,また示してもいない,第三者の解釈による名誉棄損について逐一30万円もの賠償責任を負わせることは,言論の自由を最大限に保証する憲法21条の趣旨を大きくそこない,公人に対する正当な批判を強く委縮させるものであり,直ちに破棄されるべきものである。
第3 結語
以上原判決は,本件投稿の主語を根拠なく被控訴人とし,本件投稿の解釈に被控訴人が日本維新の会の代表者であるとの事情が必要であるとしながら,本件日本維新の会に関する公知の事実は不要とし,被控訴人のコメント欄のコメントを本件投稿の解釈の根拠としながら控訴人のコメント欄のコメントは根拠とならないとし,本件投稿の前提となる事実を規範鼎立時においては「橋下が,丸山議員をツイッター上で複数回にわたって罵倒するという事態に対し,代表者としてその事態を知って止め得る立場であったにもかかわらず,橋下に公衆の面前で罵倒を行うべきでない旨申し入れたり,党に対する不当な介入であり,その様な罵倒には一切左右されない旨公表して丸山議員の名誉を守ったりすることなく看過した」事としながら,あてはめ時においてはこれを「看過・容認」と代え,本来控訴人の被控訴人に対する「評価」であるはずの「看過・容認」をまるで前提事実の如く扱い,「党の所属議員と第三者との間の私人間の問題に代表者が何らかの行動をとらなかった場合,代表者が看過・容認しているとの評価を受けうると信ずる相当な理由があったと認めるに足りる証拠はない。」と,評価の対象たる事実と評価それ自体を混同した議論でその違法性阻却事由を否定し,本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実が日本維新の会内部において党内の争いであると認識されていた事実と,被控訴人自身のツイートから被控訴人が本件訴外橋下訴外丸山罵倒の事実を看過・容認していたものと考えられるか,少なくともそのような評価を受けると信ずる相当な理由がある事を見逃し,極めて反論が容易でありかつ実際に反論がなされた状況で,公人に対する公共の利害に関する事実について公益目的でなされた言論について,何ら本人が意図せず,また示されていない,第三者の解釈によって名誉棄損が成立するとして過大な賠償を課し,言論の自由を最大限に保証する憲法21条の趣旨を大きく損ない,公人に対する正当な批判を強く委縮させるものであるから,直ちに破棄されるべきものである。
以上
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