ニュースの感想
1日、菅総務相が、住民税の一部を育ってきた故郷に納税することが出来る「ふるさと納税」制度の創設に向けた検討会の発足を指示したと発表されました。
地方から政治家を目指すものとして不利になることは承知であえて言いますが、今後の研究の結果素晴らしい制度が見出される可能性は否定しませんが、少なくとも現在取りざたされているような制度であるなら、私はこの制度に反対です。理由は簡単で、「これは政治の責任を放棄したポピュリズムだ」と思うからです。
住民税の偏在が、地方財政の大きな問題である事は論を待ちません。中央から地方への一定の流れは、勿論必要でしょう。しかしどの程度、どの様に配分するかは、「税金」である以上政治が責任を持って行うのが本筋で、「皆さんの選択にお任せします」と言うのは住民意思を尊重するようでいて、実は政治が、「希少資源の配分の決定」と言う最も本質的な責任から逃れていることに他ならないように、私には思えます。
この制度の問題点は、少し考えただけでいくつか浮かびます。先ずそもそも「故郷」をどう決めるかが、すぐには定まりません。人によっては高校を卒業するまで一つの故郷にいますが、人によっては小学校に上がる以前に、複数の土地を動きます。その一人一人に故郷を決める法律を作るのは容易ではないですし、よしんばそれをしたとして、自分が今まで住んできた複数の土地の中から「法律」が「故郷」を決めるのは、「公権力のおせっかい」以外の何ものでもないように思えます。
この「故郷決定の困難」を回避しようと思ったら、「選択制」を導入するしかありませんが、それは今度は実際の行政需要と関係のない「人気投票」になる恐れをはらみます。私個人の例をとっても、今までに新潟県魚沼市、神奈川県愛川町、千葉県木更津市、兵庫県神戸市、神奈川県川崎市、東京都葛飾区、東京都豊島区、東京都江東区と8箇所に住んだことがあります。普通にいけばこの中から最も居住暦が長い魚沼市を選ぶのでしょうが、「港が好きだから神戸市」「寅さんファンだから葛飾区」と言う選択でもよい事になります。その選択が全体として、「最もお金を必要としている地域にお金を配分する」ことになる保証は全くありません(勿論どんな制度もうまく行く「保証」などはなかなか無いものですが、この場合「原則的にはうまく行く」という理論的基盤すらありません)。逆に「マスコミで取り上げられた」と言うだけの理由で、ある自治体にものすごく税金が集中したり、逆に需要はあるのに、単に地味だと言うだけの理由である自治体は納税先として全く選択されなかったりする可能性のほうが高いように思います。
また、このような選択制を導入すると、「納税先に青森を選んでくれたらリンゴ一箱」といった自治体間の選択競争を惹起する可能性も大でしょう。自治体が住民への行政サービスを向上させることで自治体間競争をすることは極めて健全なことですが、そこに住んでいない人へのサービスで税金獲得を競うことは、トータルで見て徴税コストを上げることであり、形を変えた税金の無駄遣いに他なりません。
そして何より、このような全ての問題が解決したとしても、「18年前に多くの人を教育していた自治体」と「現在お金を必要としている自治体」が同じである保証も理論的裏づけも、矢張りありません。「故郷への恩返し」が趣旨であるならそれは自治体への寄付の控除制度を整備することで進めるべきでしょう。「税金」は本来必要だから徴収されるべきもので、国が「恩返し」の為に税金を取るのは、これまた公権力のおせっかいと言うものです。又、世の中には「ずっと東京」「ずっと埼玉」と言う人も少なからずいます。そういった人から見ると、「同じ行政サービスを受けているのに負担する税金が異なるのは不公平だ」と言う根本的問題は、最後まで残ります。
更に悪いことに、上記のような様々な理由でこの制度で税金の配分がうまく行かなかったときには、あくまでそれは「住民個々人の選択の結果」ですから、「責任を取る人」どころか「責任を有する人」さえ、どこにもいないことになってしまいます(「そのような選択をした国民の責任だ」と言うことになるのかもしれませんが)。
結局のところこの制度の最大の問題は、「地域間格差の解消」と言う政治が取り組むべき課題を、うまく行く根拠もないままに「故郷」や「住民」という極めて曖昧な主体に投げてしまっていることだと思います。繰り返しになりますが、それは政治の責任の放棄に他ならないと、私は思います。「地方で育った人が東京で納税する」事を是正したいなら、このような不安定な制度を採らずとも、人口動態統計から地方交付税の配分を決めるのが最も直接的です。中山間地を守るべきだと考えるなら、中山間地へ手厚い助成を行えば良いでしょう。どの様な価値観でどの様に税金を配分するか、それは政治が、きちんと説明責任を果たしながら、一定の戦略を持って統一的に行うべきものです。それでこそ、それがうまく行かなかったときの責任の所在も明確になり、時代に即した路線の変更も可能になります。
政治は、国民の為にあります。しかしだからこそ、政治が行うべき選択は政治が責任を持って行わなければならないと、私は思います。
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