ニュースの感想
昨日、松岡農林大臣が亡くなりました。故人の冥福を心よりお祈りします。
政治に携わると、人の御葬式に臨席する機会が多くなります。医者時代に見た「死」は死に行く本人にとっての、人生の「終局」でしたが、政治に携わって眼にする「死」は遺族を始めとして残された人々の「人生の新しい局面の始まり」と言う面があります。出棺に際しての遺族代表の挨拶を聞いていると、「死は当人にとっては終わりだが、残されたものにとっては始まりである」と言う言葉が頭に浮かびます。
故人の尊厳は最大限尊重されるべきこととして、私は、松岡大臣の死もまた、残された我々、なかんずく自民党にとって、「始まり」であるべきだと思います。事務所経費に代表される政治と金の問題は、これを機に明確で実行力のある現実的な基準が作られるべきでしょう。緑資源機構の談合は官僚機構と生え抜きの族議員の相互依存の典型的構図だといえます(松岡農相は農水省の官僚出身で、典型的な農林族議員です)。この「政官もたれあいの構造」にメスが入れられなければ、何時までたっても日本の行政は、莫大な無駄を垂れ流しながら、時代遅れの省益優先政策に固執し続けるでしょう。
私は全くの微力ですが、自民党の一員として、猛省の上に政治を立て直すべく全力を尽くしたいと思います
どうであれ、現役大臣が「自決」したのに、たとえ政敵といえども野党構成員各位は、松岡大臣の自決に哀悼する様子には感じられない。
例え演技でも、社交辞令でも、内心でどう思おうと、哀悼の意を示し、3日ぐらいもに服すという態度・姿勢を示してほしかった。
今度は安倍総理が松岡大臣をかばったせいとか言い出して、任命責任を追及していくと言い出す始末。
人の死を党利に利用する極悪非道な野党に対してあきれるばかりです。
国民を代表として松岡大臣を追及したとはいえ自分達が死に追いやった加害者の一人であることの罪悪感が一切感じられない。
非常に腹立たしい。
わたりさん、「.」さん、コメント有難う御座います。
どうでしょう、私は野党の方々はふさわしい敬意を示してくださっていると思いますが・・・。
私は国会議員にもなっていないほんの駆け出しの身ですが、それでも、立候補の手を上げた瞬間から、批判も非難も、時には中傷もうけます。それを嫌だと言っていたら政治は出来ないわけで、駆け出しの身なりにあらゆる批判は受けて立つ気概は持っているつもりです(その分時に猛然と反論させていただきますが-笑)。
大先輩である松岡大臣も、そして安倍総理大臣も当然その気持ちがあって議員となり、大臣、総理大臣を勤めておられるものと思います。今回のように国政の根幹に関わる問題について野党の方々から批判されるのは覚悟の上だと、私は確信しています。
ただ、野党の方々の批判が「あんなやつを大臣に任命した総理が悪い」と言う話に終始してしまうならそれは流石に無意味です。「族議員と省庁の関係を何故放置したのか」「その責任を取る為に、どういう対策をとるつもりなのか」「政治と金の関係はどうあるべきなのか」と言う今後につながる方向で議論が深めてくださればと思います。
覚悟があるとはいえ、批判や非難を受けるのは、常につらいものです。しかし御互い相手の批判に真摯に耳を傾け、自ら主張すべき点については忌憚無く意見をぶつけあう、そういった真剣な議論こそが、新しい時代を動かす力になるのだと、私は信じています。
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