14日に告示された自民党総裁選において、渋谷、大阪、高松で麻生、福田両候補による街頭演説会が開催され、多数の聴衆を集めたことが報じられています。多少楽観的に過ぎるのかもしれませんが、総裁選に多くの方々が関心を持ってくださっているのは、まだしも自民党に期待を持っていただいているからであり、我々はその期待にこたえるべく全力で頑張らなければならないと思います。
ただそれはそれとして、今回このような状況を招いたことについて、自民党のみならず日本の政治システムそのもののあり方を真剣に反省してみる必要があると、私は思います。今回の一件は国内的な政治の混乱を生んだだけでなく、「日本」と言う国家そのものに対する「信用」を大きく失墜させました。日本人としてあまり直視したくない事実ではありますが、今回のような事態が、他国、例えばアメリカや中国やロシアで起こったら我々がその国についてどう感じるかを考えれば、世界中の人々が「今の日本」をどう思っているかを想像する事は容易です。又今回は「平時」であったが故に傷ついたのは「国家の信用」だけで済みましたが、これがもし「非常時」であったなら、日本の国益は「現実に」とんでもない打撃を受けていたでしょう。リーダーシップの不在がどれほどの悲惨を国家にもたらすかを、私達は太平洋戦争で十分に学んでいます。悲観的なことばかり言うのはあまり良くないのですが、日本は今「適切なリーダーを選ぶ政治システムの機能不全」と言う、大きな危機の中にいる事を認識すべきだと、私は思います。
危機からの脱却に何より必要とされるのが政治家の「意思」である事は、論を待たないでしょう。「自ら国を支える責任を負う」と言う意思のあるリーダー候補が複数いなければ、国民は適正なリーダーを選ぶ事は出来ません。その意味で、麻生元幹事長が絶対的劣勢と言える状況で立候補されたことに、率直に拍手を送りたいと思います。又、勿論それぞれの事情や熟慮のうえでの決断だとは思いますが、派閥-各政策勉強会のリーダーの先生方が自身の立候補を見送られた事は一般論として残念であり、生意気千万なのは百も承知ですが、一派を率いる以上、自らの政策を掲げてその正当性を競って欲しかったと、思います。
第二に必要とされるのは、「選挙制度」に対する再検討でしょう。自らの努力不足に対する言い訳をするつもりはないのですが、現行の制度では、非世襲の新人議員が世襲議員に勝つ事は、客観的に見て相当程度に困難です。親族に国会議員を持つ「世襲」の方が政治家となる事それ自体は、悪いことでも何でもありません。しかし、「世襲でなければ政治家になれない」状況は、日本の政治の競争力を決定的に弱めます。それは、サッカーの日本代表にかつての代表選手の息子や娘が入ること自体は何の問題もないけれど、かつての代表選手の息子や娘「だけ」で代表チームを選んでしまったら、決して強いチームを作れないことと、本質的に同じです。政治と金のあり方を含め、志ある人が議員となる道を開く選挙制度改革は不可欠だと思います。
以上の2つを前提として、最後に必要とされる最も重要なものは、「マスコミを含めた国民の全体の政治への意思だ」と、「責任転嫁」と思われる事を承知で言わせていただきたいと思います。政治を志す者の意思も、可能な限り公正な選挙制度も、主権者である国民が「日本の為に最もふさわしいリーダーを選ぼう」と思ってくれなければ、全ては絵に描いた餅で終わります。ジョン・エフ・ケネディの、「我が国の皆さん、我が国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が我が国に何を出来るかを、考えましょう(And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you, -ask what you can do for your country) 」と言う名科白を、日本国民の1人として噛締めたいと思います。
「選挙制度」に対する改革はどのように行うべきとお考えですか?
世襲を防ぐにはシステムそのものの改革をお考えですか?それとも、規制をかけるべきだとお考えですか?
いずれにせよ、
300諸侯をベースに考えられた現在のシステムで世襲を崩すのは容易ではないでしょう。
JFKの言葉を待つまでもなく、国民一人ひとりは真剣に対処しているはずです。だけど、思う通りに行かないことの方が多く、特に国政の混乱に辟易していると思います。
この国のリーダーたらんとする米山隆一さんは、この国の将来にどのような処方箋を書かれるのですか?
回答を楽しみにしています。
「日本の為に最もふさわしいリーダーを選ぼう」ね。いいか悪いかは別にして自分より利口じゃない奴、せいぜい同レベルに一票ってとこです。世襲だろうが金権選挙だろうが彼らが主権者のレベルに見合った代議士なんですから。米山氏の当選が厳しいのはこれも理由のひとつでは!?しかし首相が実質不在でもノー天気に暮らせる国が果たしていいのか悪いのか・・・いいんでしょうね。やはり「総理なんて誰がなっても同じ」は当たってるのですかね~。
「これでも国家と呼べるのか!」さん、コメント有難う御座います。
私は、「誰が総理大臣になっても同じ」だとは思いません。小泉総理、安倍総理の政権運営は大きく違いました。これからなられる福田総理の政権運営も、前2者とは違うものになるでしょう。その運営のいかんによって、例えば年金問題が何時、どのように解決するのか、地方と中央の関係はどうなるのか、今このときもつみあがる国家債務の問題にどの様に対処するのかは、大きく左右されます。暗い事を言って申し訳ありませんが、今の日本には問題が山積しており、それをきちんと解決できるリーダーを選ばなければ、(少なくとも世界でもっとも豊かな国の一つとしての)国家の存立が危機に瀕していると、私は思います。「誰がなっても同じ」と言うのは、正直「現実逃避」に過ぎないのではないでしょうか。
お願いする立場の私が言うべき科白でない事は百も承知ですが、国民の全てが真剣に政治と向き合うべき時に来ていると、私は思います。もし共感してくださりましたら、是非政治を変えるべく力を貸していただければと思います。
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