その他
先のブログで、「当選者が世襲候補に偏る事を防ぐ選挙制度の改革が必要」と述べた所、久弥さんから、「具体的にどの様な改革を想定しているのか」とのコメントを頂きました。長文となりましたので、スレッドを改めて記載させていただきます。
久弥さん、コメント有難う御座います。確かに現在の選挙で、世襲を崩すのが容易でない事は、やってみると良くわかります。かつての中選挙区制においては、最低の当選ラインは4万票程度で、新人でも友人知人を集めて何とか出来る範囲でした(1日100人に会えば1年で、30人に会えば3年で回れます)。これが現在の小選挙区では、10万票が当選ラインです。10万人と言うと、1日100人で3年、30人なら9年かかってしまい、直接的な接触はおよそ現実的ではありません。10万人の人に自らの主張を伝えるには、どうしても「ある程度の規模の組織」と言うものが必要になります。そうすると親から後援会組織を継承している世襲候補と、一からそれを作らなければならない一世候補とでは、最初から地元名門企業の御曹司と、個人商店主位の差があるわけで、そう簡単には太刀打ちできないと言うことになってしまいます。そして何より、中選挙区時代は「強い世襲候補が1位なのは放って置いて3位、4位で当選する」ことが可能でしたが、現在の小選挙区では、「世襲候補を破っての1位」でなければ原則的に当選できません。
しかしだからと言って中選挙区に戻すべきだとは、私は思いません。まだまだ不十分ではありますし、現在将に未曾有の危機を迎えてはいますが、それでも自民党はかつての古い体質からは随分脱却しました。これは小選挙区制で二大政党制が進み、「ことによったら民主党への政権交代がありうる」と言う緊張感が、良い刺激になって来た事は、否定できないと思います。その意味で、小選挙区制による二大政党制は維持すべきだと、私は考えます。
又例えば「前議員の三親等以内の親族は、同一選挙区内から3年間立候補できない」等の立候補制限を設ける事は、他の手段では改善が見られなかった場合の最終手段としては有り得ると思うのですが、出来る限り避けるべきだと私は思います。「世襲候補にとっての立候補の自由」「有権者にとっての世襲候補を選ぶ自由」も又民主主義の根幹を成す自由の一部であり、最大限尊重されるべきものだと考えるからです。
ではどうすべきか?私はそのヒントは、実は前回の私の選挙それ自体にあると思っています。前回の選挙で私は、恐らくは日本一知名度の高い世襲候補の1人と戦って、10対8の得票を得ました。自分で言うのもなんですし、そんなところで満足するつもりもないのですが、この結果は客観的に見て善戦であったと思います。この善戦は、勿論我が陣営の皆さんの血もにじむような奮闘と、言わずと知れた「小泉旋風」による所が大なのですが、もう一つ、「東大出の若造が『あのお方』に挑む!」と言ういかにもマスコミ受けする対立構造だった為に、メディアが盛んに我が選挙区を取り上げてくれたことも大きな要因であったと思います。メディアが取り上げてくれることの威力は、今回の参議院議員選挙における「姫の虎退治」でも十二分に立証されている所で、これらの事例によって「10万人に自らの主張を有効に伝える手段が平等に与えられれば、新人候補もそれなりに世襲候補に太刀打ちできる」ことは立証されているのではないかと、私は思っています。
勿論メディア自体に「新人候補を取り上げろ!」と言うのはナンセンスです。しかし例えば選挙管理委員会に、公示期間中に、1~2時間の実質的な討論が出来る公開討論会を複数回開催する事を義務付けて(参加自体は自由にしてもよいと思います)、これを夜9時から10時のゴールデンタイムに繰り返し放送させるとか、現在のように短時間のものではなく、個人の主張を伝えられる少なくとも10分程度の政見放送を、今の数倍の頻度でこれもゴールデンタイムに放映する事を義務付けるとかとするだけで、相当程度に新人の不利は解消するのではないかと、私は思います。特に公開討論会は、実際にやってみて候補者を選ぶのに非常に参考になるものでしたし、「候補者の主張を良く聞いて誰を選ぶか決める」と言う「民主主義の王道」とも言える方法です。個人的にも「機会があれば、是非一度『あのお方』と討論を戦わせて見たい」(笑)と思っていますので、実現できればと思います。
「10万人に主張を聞いてもらう」第二の方法は、ありきたりですがインターネットの利用を促進するルールの整備でしょう。現在インターネットの選挙利用について明確に定めた法律はなく(公職選挙法が出来たとき、インターネットはまだありませんでした)、「文書」に対する規制を無理矢理「Webページ」に当てはめている状況です(例えばHPに関しては、総務省の「公示中は更新しない」と言う見解がルールになっています)。しかし、「文書」であれば、「紙を沢山使って、これを配りまくる物量作戦となって財力のあるものに有利になる」故に制限も必要かと思いますが、Webページであれば、いくらページビューが増えても、別段費用は変わりません(ものすごく増えると高性能のサーバーにしなければいけなくなるのかもしれませんが、レンタルで済ます限りたかが知れています)。公示中のアクセス数は私の場合ですら、普段の40倍(!)になります。この時こそ有権者の皆さんに自らの主張を伝えるまたとないチャンスなのですから、是非、この期間を有効に利用できるような法制度を整備すべきだと思います。
最後にこれは皆さんの反発を買うのかもしれませんが、私は「選挙にお金がかかる事を認め、これに現実的な上限を定めた上で、厳しく監視する」事を提案したいと思います。今回の参議院議員選挙でも複数の違反が出ていますが、現在の選挙では、「ウグイス嬢」等のいくつかの例外を除いて、選挙運動員に「アルバイト代」を出す事はで来ません。運動員は、すべからく「ボランティア」でなければならないとされているからです。これが理想である事は勿論ですし、この制限を無くすと、非常に財力のある人が、「高額で1万人のアルバイトを雇う」と言う形で実質的な買収をできてしまうことも事実です。しかし、今時いくら応援している候補でも、「仕事を休んで、一日費やして汗水たらして動き回って、一銭にもならない」では協力してくれる人は実際問題非常に限られます。そして結局の所、そういった奇特な人をあの手この手で多人数動員できるのは、しっかりした後援会組織を持った世襲候補だけ、と言うことになってしまいます。むしろ現状を率直に認めて、例えば「1日10人、1日8時間、時給1,000円を限度として有償運動員を認める」とした方が、余程機会均等に資すると言うのが選挙を戦ってみての私の実感になります(勿論その代わり、選挙費用の報告とその検証は厳密に行われなければなりません)。
以上私は、当選者が世襲候補に偏ってしまう事を防ぐ為の選挙制度改革案として、1.公開討論を初め、自らの意見をメディアで発表する場を、候補者に十分に与える。2.選挙におけるインターネットの活用を積極的に認める。3.選挙にかかる費用を現状に即して評価しなおし、厳格な監視を前提として、認めるべきは認める。事を提案します。選挙制度改革は今すぐ実現するものではありませんが、日本の政治を機能させるために、長期的には是非とも必要なものだと思います。久弥さんを初め、皆さんの御意見、ご提案をお待ちしております。
制度の変更は難しいと思いますね。
放送法改正なんかは特に無理でしょう。
そもそも世襲を拒絶する空気が世間一般にあるとも思えませんし。
小泉、安倍、福田、みんな喜んで世襲議員を総理にまでしてるじゃないですか。
それよりも全国の小選挙区の自民党公認候補を各地の党員投票で決めてみてはどうでしょうか?
今回の総裁選では多くの地域で党員投票が行われましたが、参加意識を高めることができて非常によかったと思いますし。
どうですかね?
公開討論会は是非やって欲しいですね。テレビとかで。参考になると思います。だって国会議員なんて自分達には関係のない人ですから。どんな人か知らないし。街宣車?みたいのでガンガン廻られても候補者の人柄なんて知りませんよ。選ぶ基準は見た目ですね。
でも、前回のは単なる運でしょう。ご自身でもおっしゃっている通り。次回はないですよ。
はっきり言って期待外れな回答です。
世襲を防ぐ改革が必要ということを書いていた割に、ですけど。
あまりに優等生的な答えばかりだと、10年先も20年先も見えてきませんよ。
私は、ズバリ、議員の多選禁止をすべきだと思います。さらに、衆議院の解散を無くして任期を短くすることを提案します。
これがどのような結果を生むか、ご想像ください。
米山隆一さんの提案の10倍はかっこいいですよ。実現性は同じくらいありませんけどね(笑)
また、地方議会は、選挙をやめて抽選制にしてもおかしくない状態です。もちろん、これも実現性はゼロに等しいですけど。
現状に憤りを感じ、医学の道でなく、政治の道を進まれるのなら、もう少し大胆な切口で主張しないと、たとえ議員になったとしても大成しません。
優等生は、もうやめましょうよ。
久弥さん、うーんさん、ぬこさん、コメント有難う御座います。
私の提示した改革案は、私自身は十分に実現可能なものだと思います。立会演説会は1983年の改正で公示期間中の開催が禁止されるまでは適法でしたので、これを再び適法にする事に問題はありません。選挙管理委員会が「必ず」行うとする事は立法上、事務上の困難はあるでしょうが、参加の自由を確保しておけば、現行法と矛盾するものではないでしょう。又「適法」としただけで、マスコミが自発的に行ってくれて、選挙管理委員会に義務付ける必要がなくなるかもしれません。政見放送はそもそもそれ自体公職選挙法に定めがあるから行われているわけで、この時間を増やすこと、時間帯をある程度指定する事は極めて単純な改正で実現します。
ぬこさんは、今回の自民党の総裁選で党員投票が行われ、参加意識が高まった事を指摘しておられます。私はそれが正に、「公開討論会」の必要性を証明していると思います。今回の総裁選では、マスコミが麻生、福田両氏を迎えてのインタビューを複数回行い、それがゴールデンタイムに放送されて、両者の意見やパーソナリティの違いが一般の有権者に提示されていました。実のある「選択」がなされ、それが「参加意識」につながる為には、このような「中身の提示」が是非必要です。「中身の提示」なしで単に「選ぶ」機会だけ与えられても、そもそも選びようが無く、その様な状況で行われた選択は決して「参加意識」には結びつきません。ぬこさんの提案する党員投票を実質的なものにするためにも、その後の選挙を実質的なものにするためにも、「中身の提示」が出来る機会-「公開討論会の機会」が、是非とも候補者に与えられるべきだと、私は思います。
尚、久弥さんの提案する議員の多選禁止には私は反対します。首長や総理大臣について多選の禁止はありうると思いますが、「世襲の抑制」の為だけに議員でそれをする理由を私は見出せません。議員の良し悪しに関わらず次々と議員が変わったら、それこそ志と能力に欠ける人が議員になって、日本の政治のリーダーシップは完全に失われてしまうように思います(サッカーの日本代表を、「一期交代」で選ぶようなものではないでしょうか?)。又解散をなくする事は可能ですが、そうであるなら大統領制の採用を含めた大規模な憲法改正が必要で、これまた「世襲の抑制」を目指して行うものではないとおもいます(私自身大統制の採用はありうる選択肢だと思いますが)。同じく久弥さんの提案する地方議会の抽選制には完全に反対です。政治は、政治をやろうと言う情熱が無ければ、出来ません。「誰がやっても同じ」と考えるのは、あまりに現実から乖離しています。
私は、政治は、「少しでも良い未来を『実現』する為」に行うものだと考えます。他人がどう思うかは兎も角、少なくとも自分自身は「実現できる」と思う政策を、政治家は提示しなければなりません(「郵政民営化」は小泉氏以外のほとんどの人は、実現するまで「荒唐無稽」と考えていましたが、恐らく本人は、「出来る」と思っていました)。それが「優等生的」だと思われるなら、それはそれで仕方の無いことですが、「実現性は無いけれ大胆でかっこいい」政策を掲げる事は、責任ある政治家の取るべき態度ではないと、私は考えます。
現状を変えようとする事は常に困難です。「どうせ何も変わらない」とか、「実現不可能なほど大きな事をしないと変わるはずが無い」とかと、思いがちです。しかし実際にやってみると、案外物事はちょっとしたきっかけで大きく変わります。勿論その「ちょっとしたきっかけ」を作ることこそが大変なのですが、それでもそれは努力次第で「可能」なことです(それを時に人は「コロンブスの卵」と言います)。
私は、私が当選することも、多くの人の協力を得て日本の政治を変え、一世だろうが二世だろうが志と能力があれば政治に参加できる状況を作ることも、その結果もたらされた政治のリーダーシップで、より豊かでより自由な日本と地域の繁栄が実現することも、全て可能だと信じています。そしてその為の努力をすることこそが、今の日本に必要なことだと、思います。共感してくださる方は是非力を貸していただければと思います。
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