格差社会と財政赤字

  • 米山 隆一
  • at 2006/6/27 11:02:04

近時、小泉政権の作った負の側面として、「格差社会」がたびたび取り上げられています。多くの人が幸せに暮らしていく為に、そして一度失敗しても何度でも挑戦を続けられる社会を作る為に、格差を個人の努力を反映した範囲に限定する努力−とりわけ大きな負け組を作らない努力は、確かに政治が行うべきことだと、私は思います。誰もが一定レベル以上の生活を出来ると言うことが、日本人の教育水準を高め、日本が世界で活躍する大きな原動力となっているからです。

 

ただ私が気になるのは、格差の是正の為には、現在の財政赤字の拡大を容認しても良いと言う論調が見られることです。財政赤字が一時的なものであれば、その論にも一理あります。しかし、現在の日本の財政状況では、それを許す状態にはありません。今財政の均衡を達成しなければ、財政赤字は無制限に拡大し、国債の発行残高は膨らみます。そしてその膨らんだ国債は、次の世代の税金で返さなければなりません。

 

「国債は日本人が買っているのだから、償還金は日本人の元に戻る。だから問題ない」という意見もありますが、残念ながらそれは間違っています。国債は、現在の富裕層が買い、そして未来の富裕層に利子をつけて返されます。いま、国債を発行して財政出動を行うことは、富裕層から非富裕層への資金移動を生じて、確かに格差を減少させる効果があります。しかしそれは、国債を返す未来において、非富裕層に渡るべき社会保障費を削減して富裕層に償還金を渡すと言う、全く逆の資金の動きを伴います。それは、格差の限定と言う現代の課題を、将来に、お子さん、お孫さんの世代に先送りすることに他なりません。

 

私たちは、社会の格差の限定に対して、全力で取り組まなければなりません。しかしそれは、今いる私たちの責任と負担によってなされなければならないと思います。財政赤字の膨張を放置することで、私たちの世代で格差を解消し、その付けを次の世代、お子さん、お孫さんたちに残すことは、責任ある大人として、やってはならないことだと思います。その為には、痛みを伴っても、行政の効率化によって大胆な支出の削減を行うことから逃げてはならないと、思います。戦後の復興をなしとげ、世界有数の経済大国を作った私たち日本人には、その痛みを受け止めて改革を成し遂げ、更なる発展につなげる力が十分にあると私は信じています。


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コメント

格差が拡大し、国の借金を倍増させ800兆円にしたのは、一体誰の内閣の時期であったのか。富裕層の負担を削減し、被富裕層の負担を増やす政策を次々打ち出しているのは小泉政権ではないのか。ぜひ自民党候補予定者のご意見をお聞きしたいです。

小泉政権下で財政赤字が拡大したのは紛れも無い事実です。では、何によってこの赤字は拡大したのでしょうか。小泉政権は大規模な財政出動もしくは大規模な減税といった、財政赤字の原因となるようなことはとりたてて行っていません。数字を見る限りこの赤字拡大の最大の原因は、「一般社会補償費の自然膨張」であると思われます。要するに小泉政権の財政赤字に対する失敗は、「財政赤字の原因を作った」ことではなく、「社会の急激な高齢化によって放って置けば悪化する財政赤字を改善しようと努力はしたが、それが不十分であった」ことによると思われます。 格差社会に関しても、実は同じことが言えます。統計上の問題はさておき、格差は実感として広がっています。ある人はほとんど無一文のベンチャー企業から始めて、数十から数百億の資産を作ることが出来、ある人は低賃金の労働に縛られます。では、小泉政権がその原因となることをしたでしょうか?勿論間接的にはいくつかの原因を挙げられるかもしれませんが、直接的には何をしたわけでもありません。現在の格差をもたらした直接的な原因は、政治ではなく、ITの技術革新による産業構造の変化でしょう。IT技術の進歩で、従来無い産業、サービスが生まれ、そこに新たな参入余地が出来ました。そして従来なら大企業しか参入できなかったところに、パソコン一つ、身一つで参入できるようになりました。所謂「勝ち組」の登場はITによって少ない資本で、一人で出来ることが飛躍的に広がったことによる部分がほとんどで、政治の果たした役割は非常に少ないように思います。そしてこの反動が単純事務の市場価値を下げることで、所謂「負け組み」の創出につながりました。 この産業構造の変化の中で、規制緩和による競争政策で「勝ち組」を作ったことは、一見格差を広げているようですが、実のところ、新たな産業を創出し、新たな雇用を作り出しています。それは、最終的に新たな「負け組み」の救済策になります。これを否定することは「誰もが平等に沈めば良い」と言う単なる悪平等で、誰のためにもならないでしょう。問題は、負け組みを作らないための政策まで、力が及ばなかったことだと思います。ここでも小泉政権の失敗は「何か間違ったことをした」と言うよりはむしろ、「技術革新による産業構造の変化に対応しようとしたが、尚十分ではなかった」ことだと思われます。 小泉政権が他の全ての政権と同じように、成功も失敗もしたことは間違いありません。しかし「小さな政府の実現による財政再建と競争力の強化」と言う大筋は正しかったと思います。そしてその失敗は、路線自体の失敗ではなく、むしろその路線が不徹底に終わってしまったことに起因するものであり、現在、そして次の世代の為に、改革に挑み続けなければならないと、私は思います。 民主党の候補の方とお見受け致しますが、政策論争はいつでも歓迎いたします。よろしくお願いいたします。

米山さん ご丁寧にありがとうございます。米山さんもお認めになっておられるように、高齢化によって増大する社会保障関連支出に対応する政策を打ってこなかったことが小泉政権の失敗であると思います。財務省によれば、平成2年から平成18年の間に増大した375兆の普通国債残高について、その増大の要因を分析し、社会保障などの歳出要因が129兆円だが、税収等の歳入の減少が142兆円としています。つまり、政府介入による景気対策を怠たったことが経済を縮小させただけでなく、減税・規制緩和という景気対策が十分効果をあげることができず、税収を落としたことが、国の借金を増大させた大きな原因であるといえます。同時に、高齢化が進み、社会保障関連の支出が増えることはずっと前から予測できていたのに、年金の改革などでも出生率の予測を高めに設定するなどして前提の数字をごまかし、年金の抜本的な改革に取り込まなかったことも小泉政権の失政の一つです。  ゼロ金利による金融の超緩和政策は、企業の設備投資を刺激し実体経済を活性化させることには効果を見せず、銀行は政府が発行する国債の引き受け先として機能し、余ったお金は消費者金融や株式投資や不動産にわたっていた。ゼロ金利によって吸い取られた庶民の利息収入は、銀行や一部のファンドマネージャーたちの手に渡り、マネー経済の勝者が社会の「勝ち組」として持ち上げられた。この構造は日銀の福井総裁が村上ファンドに投資しておきながら、ゼロ金利解除の前にファンドを解約したという事実がよく説明しています。  格差が広がった要因が小泉政策の何に起因するのか証明するのは確かに難しいと思います。しかし、その格差が拡大しないように細心の注意をはかって政策を練りあがるのが政治の責任であると思います。「格差は活力の源だ」といってはばからない小泉首相や竹中大臣が、格差について全く問題意識をもたず、構造的に富裕層が優遇され、非富裕層の負担が増えていくことを放ってきた(すすめてきた?)ことが小泉政権の失政であると考えます。

加藤さん。 こちらこそどうもありがとう御座います。事実関係についてはその通りなのですが、それに対する考え方、ふさわしいと考える政策が違うと言うところだと思います。長文になりますが、私の立場を書かせていただきます。 加藤さんは、基本的に、現在国の税収不足にたいして、政府介入による景気浮揚策で対応すべきとお考えかと思います。 私はこれには反対です。景気対策を国の財政出動で行うべきか金融政策で行うべきかは経済学上の神学論争に近いもので、私たちの議論で決着がつくものとは思いません。   しかし、少なくとも現在の日本において従来型の財政出動が効果を持たなかったことは、小渕内閣で既に証明済みです。財政出動はその結果税収増をもたらせば良いですが、失敗すれば財政赤字をつみますだけに終わります。現在の日本で、それは取るべき手だとは思えません。 又財政出動には、あまり言われていない欠点があります。それは、政府が支出先を選ぶ以上、「確立した産業」の「既存の企業」に行わざるを得ないということです。その為、ややもするとそれは、既存の企業の延命措置に終始してしまいます。産業構造の変化が小さい時期はそれでも良いのですが、現在のように産業構造が大きく変化しているとき、それは新たな産業の創出の芽を摘むことになり、トータルとしての国益にかないません。 加藤さんは日銀のゼロ金利政策の効果に懐疑的ですが、これによって市中金利が下がったことで、実際上企業の多くは恩恵を受けました(貸出残高は減りましたが、企業の財務体質の改善には大きく寄与しました。又、近年貸出残高はプラスに転じています)。日銀が今尚ゼロ金利政策の解除に慎重なのは(福井総裁は既に村上ファンドを売り抜けているにもかかわらず)、これが景気回復に水をさす恐れが強いからに他なりません。 このゼロ金利政策が所謂「金余り現象」によってマネーゲームをもたらしたことは確かです。私はそれが望ましいことだとは思いませんが、あながち否定されるべきこととも思いません。人は、儲けられるからこそ、株式投資を行います。それによって株式市場は存立し、企業はお金を調達して新たな設備投資を行うことが出来ます。それを全く否定してしまったら、資本主義経済は成立しませんし、それ以前に日本企業は海外企業との競争に敗れ去ってしまうでしょう。トヨタ、日産といった日本を代表する企業が株式市場や銀行から巨額の資金を調達し、それによって日本の競争力が維持されていることを、忘れてはならないと思います。 金融政策のもう一つの利点は、「産業中立的」であることでしょう。余ったお金は、基本的に市場を通じて様々な企業に貸し出され、様々な企業の株式に投資されます。それは時にライブドアのような失敗例を生みます。しかし同時に、楽天やソフトバンクのような、成功例も生みます。又勿論先の例のように、トヨタや日産といった既存企業にもお金が回ります。政府が支出先を選ぶのでなく、市場を通じて新たな会社にも既存の会社にも伴に資金が回る仕組みの方が、現在のような産業構造の変化の激しい時期の政策としては、遥かにふさわしいと私は思います。  年金改革、社会保障改革等で数値合わせに終始したことは、ご指摘の通りで、反論できません。これは政府と言うよりは霞ヶ関の官僚文化の問題だと思うのですが、霞ヶ関をコントロール仕切れなかったのは事実でしょう。官僚主導を改め、政府がより強い指導力を発揮することが望まれます。   格差問題についは、現政権で積み残された部分であり、確かに反省すべき点だと思います。ただ一つ言いたいのですが「頑張った人が報われる」結果の格差であるなら、それは決して否定されるべきではないし、「活力の源」であることも事実であろうと言うことです。私たちが問題にすべきなのは、「頑張ったのに報われない」人を作らないことであり、「一旦敗者となっても、頑張れば再び勝者になる機会がある」社会をつくることです。「敗者」も「勝者」も無い社会は、一見心地よいようで逆の不平等を招き、社会の停滞をもたらすだけでしょう。 以上が私の立場です。加藤さんと私の間には、比較的マネタリスト的経済政策で小さな政府を志向する現在の自民党と、比較的ケインズ的経済政策で大きな政府を志向する(この辺は語弊があるかもしれませんが)現在の民主党のスタンスの違いがはっきり出ていると思います。二大政党制のあるべき姿といえるのかもしれません。お互いの立場で、どちらが真の国益をかなえる為にふさわしいのか、国民の皆さんを説得すべく切磋琢磨できればと思います。

>格差問題についは、現政権で積み残された部分であり、確かに反省すべき点だと思います。ただ一つ言いたいのですが「頑張った人が報われる」結果の格差であるなら、それは決して否定されるべきではないし、「活力の源」であることも事実であろうと言うことです。私たちが問題にすべきなのは、「頑張ったのに報われない」人を作らないことであり、「一旦敗者となっても、頑張れば再び勝者になる機会がある」社会をつくることです。「敗者」も「勝者」も無い社会は、一見心地よいようで逆の不平等を招き、社会の停滞をもたらすだけでしょう。 こんなこと当たり前じゃないでしょうか? 日本はがんばった人が報われない社会なんですか? わたし、がんばった分報われてるんですけど。 再チャレンジなんてパフォーマンス意味ないと思います。 それにチャレンジする人は強い人だから、放って置いても生きていけますよ。 それよりも年金をなんとかした方がみんなが安心して暮らせる社会になると思うのですが、どーして早くやってくれないんですか? 今は健康だからバリバリ働いて、働いた分報われてますが、 もし、病気になったりした場合、老後に備えての貯金が出来なくなるので、 年金がないと不安ですよ。 米山さんは強い人に対してメッセージよりも、 弱者に対してのメッセージを発信してください。 弱者にやさしい政治家が、すべての人にやさしい政治家だと思いますから。

  • Posted by ゆか
  • at 2006/06/30 03:52:08

ゆかさん、コメント有難う御座います。 「ばりばり働いて、働いた分報われている。」とのこと素晴らしいと思います。 さて年金ですが、実は問題はなかなか複雑です。現在の年金制度は、大雑把には、「若い世代が払ったお金を、高齢世代がもらう」事で、老後の保障をする制度になっています。これは高齢世代の方が若い世代より少なくいか、少なくとも同程度であることを前提としています。そうであれば、払った掛け金よりも多くもらえる(要は既に死んでしまった人の分多くもらえると言うことです)か、少なくとも払った掛け金と同程度をもらえます。これが今後の日本のように若い世代の方が高齢世代より少なくなると、払った掛け金よりももらえる年金が少なくなってしまいますので、貯金をした方が得と言うことになって、制度そのものの意味がなくなってしまいます。 現在の制度の下で今後も十分な年金を支給しようと思うなら、今まで以上の国庫負担の投入はほぼ避けられません。その余裕があればよいですが、現在の財政状況でそれをやろうと思ったら、増税は避けられないでしょう。そうすると、働いても可也の部分が税金で持っていかれて、「ばりばり働いて、働いた分報われている。」社会ではなくなってしまいます。 世の中あちらを立てればこちらが立たずで、即効的な策はなかなかありません。 しかし勿論解決策はあると思います。まず、 (1)運営主体の社会保険庁の徹底的な効率化を進めましょう。せっかく集めた保険料がここで無意味にロスされるのは、なんとしても無駄です。 (2)老後の一定水準の暮らしを保障する基礎部分は、国庫負担によって、一定額が確実に支給される制度にしましょう。この部分に対する不信感が、年金制度を揺るがしている面が非常に大きいと思われます。 (3)さらに年金制度の一本化と簡素化を進めましょう。年金不信は、(2)を含めて制度不信の要因が大きいように思います。公務員と一般会社員で国庫負担率を変える理由は無いはずです。又転職や家族構成の変化で年金が変わるのも不合理でしょう。国民全員に公平で分かりやすい制度の確立が必要です。 (4)これだけだと残念なことに、年金財政が持たないか、増税が必要となる可能性が高いです。現在現役世代の平均年収に応じて支払われている(2)の基礎部分を越える所謂「上乗せ部分」に関しては、実は高所得者により多くの所得が国庫から移転すると言う制度の意図とは逆の方向へ働いている面もあります。この部分は、自分が積み立てた分をもらえる「積立式」中心に方向転換して、年金財政の負担を減らさざるを得ないでしょう。 以上をまとめると年金に関しては、 (1)老後の生活水準を保障する部分−弱者保護の部分は、国が責任を持って支払う方式に転換して、全ての人が安心して老後を送れる制度にすべきです。 (2)それ以上の上乗せ部分に関しては、財政上の限界を考えて、個人の支払った額が個人に帰ってくる積み立て方式中心にして、経済的強者が多くの年金を得たいなら、自らの負担で行う仕組みにすべきです。 となると思います。具体的な制度の実現には様々な問題がありますが、それを解決して多くの人が納得できる制度を作り上げることが、政治の責任であると思います。

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