30日、オスロプロセスでクラスター爆弾を禁止する条約が採択され、政府はこれに同意することを表明しました。私は会議での条約の採択とそれに対する同意に異存はありませんが、日本としてはこの条約を締結すべきではないと考えます。
勿論クラスター爆弾の悲惨さは報道で良く了解していますし、クラスター爆弾に限らずあらゆる大量殺人兵器が使われるべきでないことに異存はありません。しかし、兵器が使われないことと、存在すべきでないことは分けて考えるべき問題です。非常に悲惨で、それ故に決して使われるべきでない兵器でも尚、存在すべきものは時としてあります。
クラスター爆弾は、その悲惨さが非常に喧伝されていますが、反面、比較的少量の火薬を用いた爆弾を一回投下することで、広い範囲をカバーできる非常に「効率的」な爆弾です。日本のように広い海岸線に上陸する敵を、少数の高性能な機械力-主に空軍力で守ろうと考えるなら、うってつけの道具と思われます。同じ範囲をクラスターでない「一個の爆弾」でカバーしようとするなら、非常に爆発力の大きい爆弾が必要となるでしょう。その結果は恐らく、現場=日本の国土に与える損害が甚大になる上に、総量としてはクラスター爆弾の何倍もの火薬を使わなければならい事になるでしょう。結局のところクラスター爆弾の放棄は日本から、「少数の優秀な機械力を武器に、人手とコストをかけずに、かつ日本の国土への被害を最小に抑えて防衛する」機会と抑止力を奪う事になります。そしてそれは反射的に、「多数の人力=陸軍力によって、日本の国土の破壊を目的として多大なコストを厭わずに侵入する」仮想敵国を利することに他なりません。
とは言え、もし「世界中の国がこの条約に同意し、世界中の国からクラスター爆弾が消え、それ故に実際にクラスター爆弾が使われて悲惨な思いをする人々が現実にいなくなる」のだとしたら、このような日本にとっての不利も、甘受すべきものであろう事に異存はありません。しかし今回の条約は、米中露という、システマティックにクラスター爆弾を使う能力を有する当事国が参加していません。これではこの条約でクラスター爆弾が使用されなくなることは先ず期待できません。それどころか他の国々が使用を中止するとなればこの3国は、クラスター爆弾を持つことで他国にない軍事的優位を保有できることになります。それはこの3国がクラスター爆弾を放棄することをより非現実的にします。結局この条約は、この3国に軍事的優位を与え、この3国がクラスター爆弾を使う機会を増やす効果をもたらすに過ぎないように、私には思えます。
「人道」には「現に命を守る」という「現実的人道」と、「人道を他者に訴える」という「理念的人道」があります。現代の国際政治において後者の「理念的人道」は実は非常に重要な要素を占めますが、これだけを見て特に自国民の「物理的人道」がおろそかになるのでは、本末転倒です。条約に同意してその採択に協力し、更には米中露の参加を自らの条約締結の条件としてこの3国に参加を促すことで「理念的人道」に対して義務を果たした上で、自国民の「現実的人道」を守るべく日本の周辺国すべてが参加するまで条約の締結を留保するのが、国民の命を預かる政治のとるべき道ではないかと、私は考えます。
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