先の稿でも書きましたが、私は本日大阪で開かれた日本維新の会の党大会に出席し、来る参議院選挙の新潟県選挙区公認候補予定者となりました。
その帰り道、新幹線に乗っていると、おそらく6~7歳くらいと思われる男の子が、正面に立ち止まって、突如、「ねえ、僕しょうたっていうんだ。おじさんは?」と尋ねてきました。
最初はびっくりしましたが、聞くとお母さんと大阪から品川に向かう新幹線の中で、お母さんが眠ってしまったので退屈だとのこと。後ろを振り向くと、確かにお母さんと思しき女性が、席で眠っておられます。まあ私の隣の席は空いているので、座るのは自由だよ、と言う感じで対応したら、ちょこんと座って、最近手に入れた私のタブレットをいじりだしました。
私のタブレットには、メーラーと自炊した書籍を読むリーダーと、SNSアプリぐらいしか入っていないのでどうするんだろうと思っていたら、サクサクと、GooglePlayに入って、無料ゲームをダウンロードして遊びだしました。正直微妙に迷惑感もあったのですが(苦笑)、「そういや、僕も子供の頃、特急トキで東京に行くときには、乗り合わせたおじちゃんやらおばちゃんに遊んでもらったよな。その現代版ってことかね。」と思ってそのままにしておきました。
独身で子供もいない私が言うのもかなりなんではありますが、子供の未来は、すべての大人が、考える義務のあることだろうと思います。そしてその「子供」の範囲は、自らの血縁だけに限らず、地域、日本、そしてかなうことなら世界というレベルで、考えるべきことでしょう。
魚沼に生まれた私は、長岡の中学校に通い、兵庫の高校に行き、東京の大学を卒業し、アメリカで働き、今東京と新潟と大阪を行き来しています。私はその何処でも、素晴らしい教育を受け、素敵な人々に出会い、有意義な経験をしてきたと思います。
選挙のたびに、「地域の利益」が、「都会の利益」と対立したものとして語られ、「地域の声」という名の要求をいかに中央から引き出すかが、クローズアップされます。
しかし、新幹線で出会った男の子が軽々とインターネットを使いこなして遊べる今、子供たちの未来に、「地域と都会」の境界なぞ、存在しません。現在新潟に住んでいる方々でも、お子さん、お孫さんの一人や二人は都会で暮らしている方の方が、むしろ多数派でしょう。
地域の大人は、地域の未来とともに、地域から旅立って他の地で暮らす子供の未来も、考える義務があると、私は思います。
激動の時代に、地方と都会がともにそれぞれの良さを最大限に生かせる、そんな政治を実現できるよう、私は全力を尽くしたいと思います。
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