今日の明け方、実家の2階で眠っていたら、突然「バシッ」という音が聞こえて目が覚めました。寝ぼけ眼を開けてみると、まだほの暗い部屋の天井が見えます。「別段周囲に変わったことはないし、なんの音だったんだろう…」とぼんやりした頭で考えながらのっそりと起き上って見回すと、何と、布団の横の床に直径10㎝程の穴が開いています。「えっ!」と思わず叫んで、もういちど天井を見上げると、さっきは気が付きませんでしたが、ほぼ同じ位置に、やはり直径10㎝程の穴が開いています。
「なんてこったい!」と叫んで階段を駆け下りると、1階の床にも、やはり同じような穴が開いています。興奮を抑えきれずにあちこちの知人にメールで連絡しながら夜明けを待ち、朝一番で119番に連絡して調べてもらったら(119番をする以上朝一も何もないのですが、何となく朝まで待ってしまいました)、何と1階の穴の下から不格好な黒い、重い石が出てきました。ロシアに落ちたものとは比べ物になりませんが、隕石の可能性もあるということで、新潟大学の理学部で調査してもらうことになりました。
今回はたまたま私の布団の真横に落ちてくれたので何事も起きませんでしたが、これが後数センチ布団寄りに落ちていたら、私の命はなかったでしょう。調査にあたる新大の先生に、「どのくらいの構造にしたらこの程度の隕石を防ぐことが出来ますか?」と聞いたところ、屋根に厚さ10㎝程の鋼版を入れれば、大丈夫だが、それを支える土台から補強しなければならないので、費用は総額で1億円ほどかかるだろうとのことでした。
到底今の私に払える額ではないのですが、今後この家で(まだ見ぬ)妻や子供と暮らすことを考えれば、安全安心が第一です。私は早速銀行に電話し、生命保険を解約して頭金にして、残金は親子2代50年ローン(現在45歳の私がこれを完済することは不可能です)を組んでいただくことにしました。
というのは、勿論エイプリールフールの冗談です(笑)。
ところで、現在安倍政権の高支持率に支えられて、自民党の先生方から、「民主党が公共事業を減らして、国民の命を危険にさらした。私たちは、公共事業をして安全安心を確保するんだ!公共事業をして何が悪い!」と言う趣旨のご発言が聞かれます。
必要な公共事業に必要な額を使うことに、反対の人はいません。それが国民の安全にかかわることなら、尚のことです。
しかし、我が新潟県に目を向けてみれば、人口1人当たりの医師数は、民主党が政権を取るはるか以前、自民党が政権を取られていた遥か昔から、ワースト10付近に低迷しています。この間、県民の安全は、果たして守られていたのでしょうか?また新潟県は、癌に対する先進医療の充実度では、率直に言って他県に後れを取っています。この間、県民の数多くの命は、癌で失われなかったのでしょうか?
繰り返し、私はインフラの整備をしなくてもよいと言いたのでも、天災に備えなくてもよいと言いたいのでもありません。しかし、私の法螺のように、流れ星に当たって死んだ知人がいる方はまずおらず、道路の崩落で亡くなった知り合いを持つ人はそう多くはありません。それに対して、癌や病気で亡くなった知人がいない方はほとんどいないでしょう。その中には、本来救えるはずの病気を早期発見出来なかったこと、十分な治療を受けさせてあげられなかったことに、人知れず忸怩たる思いを抱いている人も、少なくないはずです。
私がこれから流れ星にあたって死ぬ確率は限りなくゼロに近いでしょうが、医者として私は、自らが後20年以内にほぼ30%の確率で癌になり(うちは癌家系です)、30年以内にほぼ50%程度の確率で介護を受け始め、40年以内にほぼ70%の確率で寝たきりになり、50年以内にほぼ100%の確率で死ぬだろうと、断言できます。
そして政治を志すものとして私は、このままいったら、そのころの日本で、十分な医療と介護を受けて安心で安全な老後を送れる人は、おそらく豊かな10%程度にすぎないだろうと、危惧します(これはTPPへの参加の有無にかかわりません。国民皆保険は、TPP参加以前に、危機に瀕しています)。
私が10cm鋼板屋根の家を建てても、癌も、老いも、死も防げないように、医師のいない県、救急車のない町、住民のいない村に、道路と橋だけ作っても、安心・安全な社会は実現しません。私は是非、必要なインフラ整備を必要なだけ行いながら医療・福祉にもお金を振り向け、医療制度を改革し、医師を地方と都会に適正に配分し、介護制度を整え、地方でも都会でも、誰もが本当に安心・安全な生活を送れる日本を、作りたいと思います。
はじめまして。いちおう、医者をやってます。医療従事者としては言いたいことは基本的に理解できます。
ですが、公共事業に必要性の高いもの(たとえば慢性的に渋滞している交差点の改良)と低いもの(有料道路と並行して走る高規格国道)があるのと同じように、医療・福祉にも、そういう順序があります。
問題なのは、公共事業でも必要な事業が地権者の説得に難渋して一向に進まない間に、そうでない工事がどんどん進むという実情があるのと同様に、医療・福祉に関しても、単純に資金を投入しただけでは、その資金は有効に活用されないだろうということです。
例えば、先進医療について触れられていますが、私は、先進医療は全員に行き渡る必要は無いと思っています。小規模にやって、そのなかで、これはというものがあれば、広範囲に導入すればいい訳です。遅れている県があるのはむしろ当然で、県内の施設の充実ではなくて、県外の医療機関の受診をサポートするような形が望ましいのではないでしょうか。
人口当たりの医師数は、都道府県単位で見ると全体に西高東低で都市部が多い関東地方の医師数は大学病院の集中している東京都を除けば、決して多くはありません。それでも地方の医療崩壊が叫ばれるのは、むしろ、県内での医師の偏在によるところが大きいです。
いわゆる僻地での勤務が敬遠される理由は多々あろうかと思いますが、そのひとつは、病院の規模が小さいことだと思います。たとえば常勤医師が3名の病院では(アルバイトの当直医が雇えないと)、必然的に月に10回の当直をこなす必要がでてきます。これは法律で原則として禁止されていますが、現実にはまかり通っているみたいです。
東大の中島先生が5年前に書いてますね(汗。
http://pari.u-t
それだから、農業の国際競争力の話とは少し違うのですが、やはり、病院に関しても可能な範囲で集約化されることが望ましいということが導き出せます。地方の小規模病院を保護するために予算を使っていたら、医療の破綻は加速する、という構造は農業と変わらないと思います。(新潟県でも三条総合病院と燕労災病院の統合などが模索されているそうですが……)
願わくば、「公共事業から社会福祉へ!」というようなどこかで聞いたような漠然としたスローガンは(まぁ、選挙戦のときはそれも必要ですし、大切だとは理解しますが)、こういう場所ではそれに終始しないで少しだけ踏み込んだ主張をして頂きたいものです。批判ばかりしてしまったかもしれませんが、期待の裏返しとでも思ってください。政治の役割は大きいです。特に病院関係者などステークホルダーの利害を調整するのは困難でしょう。大変でしょうけど、頑張ってください。長々とすみませんでした。
ちなみに、先端医療で言えば新潟大学脳研究所は世界に誇れるものですよ。
ズークさん、コメントありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありません。
おっしゃる通りです。公共事業に使おうが福祉に使おうが、有効なものは有効であり、無駄なものは無駄です。
政治はその優先順位を決める(医療的にはトリアージュということでしょうか)役割を担うべきであって、単純にひたすら何かにお金を投入すればよいというのは、その対象が何であれ、大きな間違いであると思います。
医師の適正配置、病院の集約化もついても同感です。医師不足、医療不足問題の解決は、ハードそのものを作るよりも、施設間での情報の共有、人員の柔軟なやりくり、患者さんの受け入れ、それを可能にする法制度の整備による方が経済的、かつ効果的でしょう(選挙キャンペーン的には、「Smartな医療整備」とでも名付けるところでしょうか)。
とはいえ、この「Smartな医療整備」にも、それはそれで労力もお金もかかります。200兆円に公共事業に費やすくらいなら、私に権限とスタッフと200億円(1万分の1です!)位の予算を与えてくだされば、法律からシステムからドガドガと作ってしまうんですがと、そんな大それた野望を抱きつつ、頑張りたいと思います(笑)。
因みに新潟大学脳研究所、以前から注目しております(fMRIに多少かかわっていたので)。臨床的にも研究的にも、多くの患者さん、そして医師が、この施設から恩恵を得られるような仕組みを作るのが、政治の役割だと思います。
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