民主党の先生が、維新の会との選挙戦を「新自由主義との戦い」と位置付けておられるようなので、少々反論させていただきます。
新自由主義は、ハイエク、フリードマンらによってとなえられ、1980年代に盛んになりました(新自由主義は、実は結構古いと言えます)。当時の新自由主義は「政府の規制は少なければ少ないほど良い」という、今考えるとずいぶん単純なものでしたが、結果的には比較的成功しました。しかし、その原因には、そもそもが行き詰ったケインズ主義へのアンチテーゼであった点、1980年代は原油相場が安定的に安くそもそも世界経済が好調であった点などが挙げられ、現在、当時唱えられていたような単純で純粋な新自由主義を信奉している経済学者はそう多くありませんし、維新の会もそのような考え方はとっていません。
一方で民主党の一部の方々のように、景気の低迷も、社会保障の削減も、地方の衰退も、中小小売業の不調も、弁護士が職にあぶれたのも、みんな「新自由主義のせいだ!」というのは、正直ユダヤの陰謀論の様なものに近く、あまりに物事を単純化しすぎているように思います。
日本経済の低迷は基本的には日本経済に多くの問題(最大のものは少子高齢化です)があるからですし、社会保障費の削減は急速な高齢化に対応する為のものです。地方の衰退や中小小売業の不調は経済の大規模化によるもので、弁護士が職にあぶれたのは定数増と弁護士自身のマネージメント能力の欠如によるものでしょう。「日本経済が不調なのも、郵便ポストが赤いのも(郵便ポストの色には多少責任があるかもしれませんが-笑)、みんな小泉と竹中と新自由主義が悪いんだ!」というのでは、到底これらの問題に対する有効な対策を立案・実行することは出来ません。
自由主義的国家と福祉主義的国家は、考え方の大きな枠としては対極にありますが、実際の政策となれば共通のところは多く、本質的には「どちらの方に比重を置くか」という、程度の問題、哲学の問題に過ぎません。
選挙で雌雄を決する間柄とはいえ、徒に相手にレッテルを張り、お互いの政策をやみくもに非難しても、問題の解決は図れません。相手の政策の良い点を認めたうえで、正々堂々自らの立場を主張し、議論を戦わせる選挙戦を、私は行いたいと思います。
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