ニュースの感想
広島で大規模な土砂災害が発生した20日、安倍首相がいったんゴルフを継続したのち官邸に向かい、その後「荷物を取りに」別荘に戻り、翌21日になって官邸に戻ったことが、議論を呼んでいます。
私は日頃「政治は結果責任」と考え、そう主張していますので、特段悪い結果が生じなかった以上、これ自体をあげつらうのは違うだろうなと思います。
一方で、僭越ながらではありますが、自らの乏しい経験に鑑み、安倍総理の一連の初動には非難というよりは寂寥感を、感じざるを得ません(お前と一国の総理を比較するなというのは当然ですが、お許し下さい。)。
第一に、一度でも「下積み」として働いたことがある人で、「突発した仕事のトラブルで、即座に休暇を切り上げて現場に駆け付けた。」経験のない人はいないでしょう。それでいいというつもりはないのですが、医師は、担当の患者が急変したら、非番の日であっても、何をおいても駆けつけることを求められることが、多々あります。かつて研修医は、24時間365日の待機を命じられ、「修行中の期間は、休日であっても、呼び出されて1時間以内に病院に駆け付けられる範囲の外にはいくな。」という非人間的ともいえるお達しを受けることもありました。
医師のように人の生命に直結することがわかりやすい職業でなくても、納入したプログラムにバグが出て、現場に駆け付けさせられたことのないプログラマー、トラブルに激高した顧客のもとに慌てて謝りに駆け付けたことのないセールスマンは、稀でしょう。
100人に迫る人が死亡・行方不明となっている災害の発生にあたって、まずは自分の仕事の持ち場に行こうという発想がなかったことに、「おそらくこの人は、一度も下積みの仕事をしたことがないんだな。」という寂寥感を感じるのは、そうおかしなことではないように思います。
こういうことを言うと、まず間違いなく、「一国の首相の仕事はリーダーであり、下積み仕事の価値観を押し付けるのは、ポピュリズムに過ぎない。」との反論を受けると思います。それはもちろんその通りでしょう。では、リーダーがトラブルの起きたとき現場に臨場することは、意味のないことでしょうか?
これも、ある程度の数の人員(ほんの10人程度でも)のリーダーとしてプロジェクトを統率したことがある人で、「現場にリーダーがいることは、決定的に重要。」と考えない人はほとんどいないのではないかと思います。どれほど綿密にシミュレーションをしていても、どれほど詳細な役割分担を決めていても、多くの現場では、不測の事態が起こります。その時、誰が何を担当し、誰がどの決定権を持つのか、即座に決められるのは、最終的な責任と権限を有するリーダーだけです。たとえ非常に優秀な現場責任者がそういった作業を全部こなしているとしても(現在の官邸では、おそらく菅官房長官がこれをやっておられるのでしょう)、現場責任者は現場責任者であってリーダーではありません。常に、多様な利害を有する様々な人からの反対を受け、異論にさらされます。それを抑え、現場責任者に全権を与え続けることができるのは、リーダーだけです。
現場にリーダーがいるということは、突発する様々な関係者間の利害と権限を、その場で即座に調整してスムーズにプロジェクトを進行する上で、決定的に重要なことなのです(それこそが、プロジェクトにおけるリーダーの役割です。)。
今回の災害救助・復旧において、今すでに「スコップが足りない。」「人手が足りない。」という声が出ています。単なる想像ですが、おそらくはすでに隣県の消防隊、警察、ボランティア団体から提供の申し出はあるでしょう。しかしその「善意の申し出」は「善意」であるがゆえに、どのように受け入れ、誰が指示するのかという正規のルートは決まっていません。その差配を誰にどう任せるのか、誰かが決めなければなりません。
今回早期に自衛隊の派遣を得たことは素晴らしいことですが、自衛隊の管轄は当然防衛省で、警察は県、消防は市町村、国交省と気象庁は当然国です。川も斜面も、市の管轄も県の管轄も国の管轄もあります。それらの連携をとり、効率的な救助・復旧体制を最も迅速活効率的に築くことができるのは、どう見ても、国のリーダーである総理大臣でしょう。
もちろんおそらく官邸では、菅官房長官の指導よろしく有能な官吏である官房副長官達が既に事に当たっていたのでしょうが、しかしそれでも彼らにして尚残る利害調整を、最高権威者である総理大臣がその場で、しかも巧みにできれば、物事は更にスムーズに進むはずです。
これも全くの想像ですが、おそらくは田中元首相は、それらの官僚資質や省庁間の利害関係を知り尽くし、その手の現場調整に極めてたけていたのだろうと、想像します。そして田中元首相なら、おそらくは真っ先に官邸に戻り、かねてから目星をつけていた、優秀な官僚、有能な政治家に適切な権限を与え、迅速かつ的確にことを運んだだろうなと、想像します。
この点でも、「おそらくこの人は、一度も本質的なリーダーとして現場の利害調整をしたことがないから、それをしようという発想が出なかったんだろうな。」という寂寥感を覚えるのは、そう間違ったことではないと思います。
自民党はもう何代も、二世どころか三世以外のリーダーを持っていません。下積みとしてすべてを中断して現場に急行したことも、リーダーの重責を担って現場の利害調整に汗を流したこともおそらくはない人がトップに居続ける国が、これからの激動の時代をどうやって乗り越えていくのか、考えざるを得ないように思います。
なぜ安部首相を責めるのでしょう。
地域には市町村長、知事等職務を持った人がいます。
貴殿の考えは昔の中央集権に逆戻りです。維新の会は違うのではないですか?
だめひかり様へ
米山さんの考えは、中央集権とは違うとおもいますよ。
災害対応において、様々な機関を一元的に動かすことができるのは総理である、という指摘はされていますが…。
仮に地方分権が進めば、首長の裁量が増えるのかもしれませんよね。
個人的には、「二世議員だからダメ」とは言い切れないと思いますが、結果としてそういう事象が見受けられることが多くて残念です。
お疲れ様です。「余程の事が無い限り、暫くはコメント致しません」と述べたにも拘らず、早速のコメントで恐縮致します。
貴殿のブログ「米山隆一の10年先のために」に興味関心を示し、貴殿の政治の場での活躍に期待している、心ある有権者の方々が貴殿に何を求めているのかを真剣にお考えになった事は有りますか?
過去や現在の首相や内閣批判でもなければ、小事に対して重箱の隅を突く事でもありません。
小さな正義と大きな矛盾 ~「日本にアイヌ民族はもういない」発言に思う~
で貴殿が批判されている、札幌市議の小正義は札幌や北海道では大正義です。貴殿は飽く迄も国政を目指しておられる訳ですが、貴殿がブログで、このニュースを皮切りに論理を展開されている内容と、心ある有権者の期待とには論点にズレを感じるのは、私だけでしょうか?
アイヌ関連補助金の不正受給問題を皮切りに貴殿が進めなければならない話の内容は、健康保険の利権に群がる役人や(医は算術の)医療関係者、薬剤メーカー、医療機器メーカーや、医療費を何度も踏み倒しながら簡単に入院して、病院食はまずいからと病床に寿司の出前をとって、あちこちの観光地の旅行談義を大声で話している不届きな患者への対応や、生活保護費を不正受給する目的で来日や在日している近隣諸国の愚民、勤労と納税の義務を果たさずに税金で安穏と生活している輩等が平然としている事がなく、かつ、真に保護すべき日本国民が公平に保護される様なシステムや法整備の具体的設計図を、貴殿の医療や法律に関する豊富な知識を駆使して提示する事ではないでしょうか?設計図の提示は政治家でなくとも、言論の自由が保障されている我が国では充分可能です。その提示内容について議論を深める事こそが建設的であり、未来志向なのではないでしょうか?
甚大な自然災害や国難に関しても、トップが現地に行く事が重要では有りません。大名行列を従えて、迅速に現場に駆けつけても、只でさえ忙しい現場の収拾作業の邪魔には成りこそすれ、益になる事は何も有りません。機を見た設備や資金と人材の投入を積極的に支援し、縁の下の力持ちに徹すべきです。
混乱期の現地入りは政治家の大衆迎合的パフォーマンスでしかない事は、福島原発事故の事態収拾に関する吉田調書で検証されつつある様に、菅×人や海×田×里、細×豪×、枝野×男等民主党為政者の万死に値する問題行動だけで充分過ぎるほど証明されております。
明日の日本の為に、安全保障、食糧問題、教育政策、殖産興業、労働分配、税政、社会保障制度等の具体的設計図の提示をお願い致します。
度々失礼致します。
私が企業(製造業)に勤めていた時、誰よりも現場主義を貫き、会議室で話を聞いているくらいなら即刻現場に行って現場を見ながら対策を講じました。しかし、それは現場責任者だったからです。もしそこに、社長が真っ先に来たらどうなるでしょう?現場責任者は社長の対応に追われ、頭の中はパニック(自分に対する上層部の評価等余計な想像が膨らんで)になり、まともな判断や対策が出来なくなっていたでしょう。心臓に毛が生えていると言われた私でも。
以上、ご参考まで。
度々、度々で申し訳ありません。
一連のコメントと結合できれば一緒にまとめてアップ願います。
組織のトップの現場介入は病院で言えば、患者まで巻き込んだ儀礼的儀式でしかない「院長回診」と全く同じです。
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