東京都で、救急搬送された女性の子宮外妊娠破裂を、救急指定病院の医師が「急性胃炎」と誤診して死亡した事件について、遺族が医師、医療法人、東京都を相手取って行った訴訟において、和解が成立しました。
「遺族と診療所が和解…救急搬送先での女性死亡
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本件訴訟は、私が受任し、相手方医師の責任と同時に東京都の救急医療機関指定の過失を争い、提訴から1年遺族の方とともに戦ってきましたので、極めて感慨深いものがあります。
上のリンクの記事では記載されていませんが、東京都は和解の中で、
「被告東京都は、原告らに対し、従前のとおり、関係法令に従い救急医療に関する施策を適正、適切に遂行するとともに、救急医療の在り方について不断に検討を続けていくことを約束する。」
としています。
「従前の通り」は東京都として過去の過ちは絶対に認められない言う趣旨で、それはそれで行政機関の法的責任という意味ではありうるスタンスだと思うのですが、一方で「従前の通り…とともに、救急医療の在り方について不断に検討を続けていくことを約束する。」としたことは、未来への一歩として、意味のあるものだと思います。
本件においては、担当した医師・医療法人に責任の大半があるのはもちろんですが、一方で医師・医療法人は、「診療所内に医療従事者がだれ一人いない時間帯が、1日6時間存在する。」「診療所内にはエレベーターはなく、ストレッチャーも通過できず、歩けない患者を病室から検査室に移動させる手段はない。」という事実を、ある意味正直に救急医療機関認定の申請書に記載して、東京都から救急医療機関の認定を受けています。
東京都は東京都で、訴訟の中では否定していますが、おそらくはそれらの事実を認識したうえで、「数の確保」を優先して「救急医療の質」を厳しく問うことなくこの診療所を救急医療機関に認定したものと、私は認識しています。
それが「法的賠償責任」というものと直結するか否かは、和解が成立した以上コメントしませんが、少なくとも、日本で最も医師が多く存在し、多数の高度な医療機関があり、妊婦たらいまわし事件以降救急医療の向上に力を注ぎ、曲がりなりにも「東京ルール(病院間で受け入れ先を探す救急医療体制)」を確立した東京都にしてこのお寒い現状であることは、自分や家族に万一の事態が生じた時には、何をいう余地もなく、その時そこにある救急医療に身をゆだねざるを得ない我々が認識すべきことであろうと思います。
既に何度か指摘しているところですが、日本の医療、殊に地方の医療は、極めて多くの矛盾に直面しています。数においても質においても、十分な医療を確保できている地域・地方は、ほとんどないでしょう。そしてその責任のかなりの部分は、「数と質の両面における、地域、診療科にわたる医療の適正配分」というものを実現できない現在の日本の社会保障制度そのものにあり、それを放置してきた政治と行政にあると、私は考えています。
和解の成立にご協力いただいたすべての関係者に謝意を表するとともに、私を含む関係者が、和解条項通り、「救急医療の在り方について不断に検討を続け」、東京都のみならず、日本全体で、誰もが本当に安心して救急医療を受けられる体制を築き上げていきたいと思います。
今を生きる我々のその努力が、故人とご遺族にとっての慰めとなることを、心より祈ります。
「診療所内に医療従事者がだれ一人いない時間帯が、1日6時間存在する。」「診療所内にはエレベーターはなく、ストレッチャーも通過できず、歩けない患者を病室から検査室に移動させる手段はない。」とのことですが、そもそも設備・人材面・資金面・労務管理においてすべて理想的な配置を病院や診療所に求めること自体無理があるのではないでしょうか?仮に理想的状態に近づけたとしても、お客様(患者様)がそれに見合うだけいらっしゃらなければ、オーバースペックの過剰投資になってしまいます。
新幹線と比較して申し訳ないですが、新幹線の場合はお客様を安全に運ぶという目的がはっきりしています。それに対し、医療機関では、さまざまなお客様がいらして要求も目的も対処すべき事項もそれぞれ異なり、画一的にはいきません。また、規模も事業スケールもずっと小さいです。よって、鉄道会社に求められるレベルの安全管理を求めても、到底無理な話で、どれかは良くてもどれかは不足してしまいます。そういう面を考慮に入れ、一定レベルに達している判断し、東京都として認定いたしました。
コメントありがとうございます。
おっしゃることは、よくわかります。もう何十年も前ですが、私も研修医のころ、額に冷や汗どころか脂汗をかきながら、街の小さな診療所で当直をしていましたし、本当に正直に言うなら、今回と比較的似た症例で、同じようなミスを犯しそうになったところを、ベテランの看護師さんに助けられたこともあります。
現時点でのリソースや状況を考えるなら、現在の配置はやむを得ないところもあるのだと思いますし、全体的な制度を築いて動かす際に、ある程度の妥協が必要なのも当然だと思います。しかし一方で、そこから零れ落ちた人、制度の狭間で理不尽な不幸に苦しむ人の思いを汲み、救済し、再びそのような人を作らないための不断の検討・努力をすることもまた、制度を作り、動かす者の責務であると思います。
鈍行は鈍行、急行は急行、新幹線は新幹線、その違いを生かしながら、日本の鉄道は、日本各地で様々な人を、様々な場所に、送り届けています。日本の医療制度も、それが都であるのか国であるのかはまた別として、様々な患者さんの、様々な要望に、様々な医療機関が、可能な限り不幸な事例を減らしながら、適切に応えていける体制を築いていくことが望まれます。
本件和解が、文字通り、「医療の在り方を不断に検討」し、改善していく第一歩になることを、重ねて心より祈ります。
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