沖縄基地反対派の男性5人が、公園で遊んでいたハーフの6歳の女児を押し倒し、腹部を踏むなどする暴行を行ったという「ツイート」が保守派の政治家からなされ、物議を醸しています。
(保守派政治家の立場:http://news.livedoor.com/article/detail/9980875/ 
反対の立場:http://lite-ra.com/2015/04/post-1005.html)。

 しかしご本人が引いている記事を読む限り、間違いのない事実は、「6歳の女児が、公園で5人の男に押し倒され、腹部を踏むなどされ、その際男たちが、『何でアメリカ人がこんなところにいるんだ。』といっていたと、言っている。」ということだけで、どこにも基地反対派がやったということは確かめられていません。それ以前に「5人の男」が何歳かも確かめられておらず、6歳の女の子から見たら、高校生だって中学生だって場合によっては体格のいい小学生高学年だって「男」に見えるでしょうから、実のところ子供同士の小競り合いである可能性も結構高いものと思われます(お腹を踏まれた女児に特段のけがはないとのことですので、相手の体重はかなり軽かったと予想されます。)。

 確証はありませんが私はこの一件は、高い確率で「誤認」であり、仮に事実であったとしても、どの集団にも一定の確率でいる「おかしな人」がやったことで、基地に賛成反対とは全く無関係であると思っています。

 そう思う理由はたった一つ、「自分ならやらない」からです。

  もとより人間は、人間の子供どころか、哺乳類や魚類、はては昆虫の子供まで「かわいい」と感じるようにできています。6歳の子供を押し倒して踏みつけるという事は、私には絶対にできませんし、私に限らず普通の人にはできません。
 勿論いくつかの犯罪で明らかになっている様に、子供をいきなり本気で攻撃する「おかしな人」もいるのですが、そういう人の攻撃はおかしいがゆえに最初から最後まで容赦がないのが普通で、5人がかりで押し倒して踏んづけておいて、しかし特に傷がない程度に手加減しているというのはそれ自体かなり想定しづらい状況だと言えます。

 また、そんな感情的な理由でないとしても、私を含め普通の大人なら、「6歳の女の子を攻撃する。」ということが、自分自身にとっても自分の属する集団にとっても損得勘定として非常に不理であることは容易に想像できます。
 本当に基地反対の運動に取り組んでいる人も、逆に基地賛成の運動に取り組んでいる人も、そんなただ単に自分と自分の属する集団に対する非難を巻き起こすだけの行為は、まず行わないのが普通でしょう。

 以上から導かれる結論は、「自分は感情論としても、損得勘定としても、決して6歳の女の子を攻撃することはない。従って他の『普通の大人』もまずそんなことはしない。だからこの一件は、かなり高い確率で、子供(中学生、高校生の可能性はある)がやったことと思われるし、大人がやったとしても、高い確率で『おかしな人』がやったことであり、その人自身が基地に反対だろうが賛成だろうが、まともな基地反対派とも基地賛成派とも無関係だろう。」ということだと思われます。

 私としては、普通に考えれば当然そういう結論になるだろうと思うのですが、そう思わない人がいるのはおそらく、「自分は6歳の女の子を絶対に攻撃しないが、相手は違う。」と思うからだろうと思います。そしてその背景には、「基地問題と言う重要な問題で自分とまったく反対の考え方をする人間が、自分と同じ人間であるはずがない。」と言う思い込みがあるのではないかと、思います。

 しかし、ここで私は、問いたいのです。基地問題と言うのは、そんなに重要な問題でしょうか?基地賛成派の中の一部の人は、基地反対派を、まるで犯罪者のようにあげつらいます。基地反対派の中の一部の人も、基地賛成派を、まるで戦争狂のように非難します。おそらくそういった人は、「基地をどう考えるか。」が非常に重要な問題で、そこで意見が一致しない人は、その他の問題でも全く意見が一致しない異質の人なのだと思っているのではないかと思います。
 しかし「基地をどう思うか。」と言う問題は、「生とは何か。」「死とは何か。」「自由とは何か。」「信頼とは何か。」「友情とは何か。」「家族とは何か。」「愛とは何か。」と言う、人にとって本当に重要な数々の問題の中で、100番目か1000番目の、ほんの些細な問題に過ぎないと、私は思います。
 そして100の問題のたった一つである基地の在り方について全く逆の意見だとしても、もっと重要な99の問題について基本的な価値観を共有できるなら、生を愛し、死を畏れ、自由を尊重し、信頼を重んじ、友情を守り、家族を愛し、愛を貴ぶことができるなら、その人は自分と同じ人間なのであって、基本的には自分と同じ考え方をし、自分と同じように行動するはずだと、私は思います。

 基地に限らず、歴史観とか国家観とかといったもので人を分け、自分と違う考え方の相手を非難する風潮が昨今目立ちます。勿論それらの問題が重要でないわけではないでしょうが、しかし人生にとってもっと重要なことはたくさんあって、歴史観や国家間の1つや2つ同じだろうが違おうが、我々は98、99のもっともっと重要な点で共感できる同じ人間であるはずです。
 政治を志す者は、1%の違いではなく、99%の共感に目を向けて協調をよびかける者であるべきであり、それこそが、国を愛する、国民を愛するという事だと、私は思います。


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