活動報告
橋下市長が本日退任され、本人の弁によれば、政治家を引退されました。私はご承知の通りあまり多くのことをコメント出来る立場にはありません。
それでも端的にまとめるなら、功罪あったという、誰もが言う一言に尽きるのだと思います。
功については明らかで、「政治によってゼロからでも物事を変えられる」という希望を多くの国民に与えたことでしょう。私はその希望を今も持ち続けておりその点で感謝し、尊敬しています。
一方の罪は、率直に言って日本の民主主義における「相互信頼」というものの少なくとも一部を、破壊したことであろうと、私は思います。是非はともかく、氏の手法が、自分の意に沿わないことは、相手が、「これはしないだろう。」と思っているある種の信頼を裏切る奇手に訴えてでも押し通そうとするものであったことに、多くの人が、さしたる異論はないでしょう。その手法のあるものは成功し、あるものは失敗しましたが、いずれにせよその面白さに、大衆は喝采を送り、氏を支持し続けました。氏は、おそらく確信犯的に「有権者を引き付けるのが政治家の仕事。そうやって有権者が決定でき、決められるのが良い政治。」と思ってそれをやって来たのだろうと思います。しかし、突き詰めればそれは、「国民にとって本当にどちらがいい政策かは重要ではない。ともかく政治ショーをみて、投票してくれたらいい。どっちが勝つかは、相手の信頼を裏切ってでも、いかに面白いことをやったかによって決まる。」ということになってしまいます。それは、民主主義の劣化、民主主義の否定です。
私は、民主主義は、様々な限界があるにせよ、賛否双方が、可能な限りの情報を有権者に提供し、可能な限りの判断を有権者にしてもらい、より良い政策を掲げた方が、より良く有権者を説得できるから、最終的に勝つのだというある種の理想論に立脚する制度であり続けるべきだと思います。そしてその為には、政治に携わり、有権者に問題を提起し、情報を提示する者のそれぞれが、正しい情報を伝え、ルールにのっとって論争するという相互信頼がなければなりません。
氏の残した功の部分は大事に残しながらしかし私は、相互信頼に基づく、ルールにのっとった政治の実現を目指す道を歩みたいと思います。政治に携わるものの相互信頼なき民主主義は民主主義として機能しえないと、私は確信しているからです。
選挙の大勢が、投票前に判明します。
米山氏の 優れた頭脳でまともな民意を反映する選挙にしていただきたいです。
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