活動報告
昨日、山古志の高野ファームの牛入れ式に出席しました。
「高野ファーム」と言ってもぴんと来ない方がほとんどだと思いますが、「3年前の中越大震災の際に、孤立した山古志村に多くの牛が取り残され、これをヘリコプターで救出(空輸?)したことがありますが、あの農場が高野ファームです」、と言えば覚えておられる方も多いのではないかと思います。
この高野ファームは中越大震災で大きな被害を受けた上に、その後の豪雪による雪の重みで、餌置き場の一部が潰れる憂き目にも会いました。しかしそれらのすべての苦難を乗り越え、今日新改築された牛舎に鹿児島(だったと思います)から和牛が入り、来年の出荷に向けて営業を開始しました。関係者ご一同のご尽力に心よりお祝い申し上げたいと思います。
さてこの「高野ファーム」は個人のものではなく、「株式会社 タカノ」と言う地元の比較的大きな食肉販売会社によって運営されています。そしてこの「株式会社 タカノ」は、実は養豚事業を営む私の実家の豚肉の大半を、販売してくれているところでもあります。私の実家で育てられた豚は、タカノさんによってなんと「深雪もち豚」と言うブランド名がつけられ、築地やら神戸やらで売っていただくという恩恵に浴しています。その為この日の式典への出席は、「自民党第五選挙区支部長」としてだけではなく、「セイジロー養豚公園」の代表として出席させていただくこととなりました。
自分の実家が直接絡んでいるからと言うわけでは全くないのですが、この「株式会社 タカノ」こそが、今後の山古志の復興のモデルケースになると、私は思っています。地震を契機に、山古志村の「良さ」は全国的に再認識されました。多くの人の助けを得て、復旧も急ピッチで成し遂げられました。しかし、それだけでは、地震の前からずっと存在したこの山村の過疎化も高齢化も、解決はしません。そしてこれを解決しなければ、せっかく復旧した集落も、やがて年月とともに再び忘れ去られ、過疎の海に沈んでしまいます。
豊かな自然と、暖かい人々と、地震でせっかく舞い込んできた知名度を最大限に生かしつつ、「株式会社的営業努力」で「商業的成功」を収めてこそ、地域の雇用が確保され、若者が定住することが可能になります(現に我が家と我が豚舎の従業員の雇用は、タカノさんによって生み出されていると言っても過言ではありません)。山古志のブランドの和牛が市場で高い評価を受け、それが地域の経済的基盤を支える一翼となることを、心から祈るとともに、政治に携わる一人として、そういった「地方企業家」が登場し、活躍しやすい環境を整えていきたいと、思います。
山古志ウォークの時、この前というか、敷地内というか・・・
を、通ってきましたね
中が空っぽだなーと思っていたのですが、まだ準備段階だったのですね
相変わらずの良い眺めの所ですね
最近のコメント一覧