「カードの2」
「大貧民」と言うトランプゲームを楽しまれたことがある方は多いと思います。このゲームは、「2」(若しくはジョーカー)が最強のカードで、この使い方勝負が決まります。そして戦略的には、最強の「2」を使うことそれ自体よりは、相手に「2」を「持っている」と信じさせて、「今使うかも知れない、次に使うかもしれない」と思わせることが重要になります。
北朝鮮のミサイル発射問題に隠れていますが、今同時に今4月に問題となった竹島問題、および尖閣諸島問題が、再び韓国、中国の間で再燃しています。竹島問題では実力行使をちらつかせる韓国政府に、日本政府は最終的に妥協しました。今回は全く立場が逆になっていますが、韓国政府に妥協する姿勢は全く見られません。中国政府も両国EEZ内での調査について相互通報の合意が出来ているにもかかわらず、それを平然と無視しています。
勿論両国の国内事情や、外交事情がありますから、その原因は一概には言えません。しかし私には、この「常に一方的に日本側が妥協しながら、同種の紛争が延々と繰り返される」と言う構図は、北朝鮮のミサイル問題の稿でも書きましたが、本質的には日本外交の失敗に帰せられるように思います。日本の外交は率直に言って、本質的な部分を米国に依存しつつ、自らは「事を荒立てない」事を旨としてきたと言って良いと思います。それは日本的美徳には極めてかなったことではあります。しかし同時にそれは、各国代表が国益をめぐって必死で「大貧民」を行っている国際政治の舞台で、「私は絶対に『2』を使いません」と宣言しているようなものだったと思います。
相手国との衝突は、たとえ極めて限定的なものであっても望ましくないことは論を待ちません。徹底的な外交努力で双方が受け入れられる妥協点を探して衝突を回避するのは、国家の責務だと思います。しかしその為には、「こちらは最終的には衝突も辞さないと考えている」と相手に信じさせること、「妥協点が見つからなかったら、こいつは『2』を出してくるかもしれない」と相手に思わせることが、必要になります。そして相手に信じさせる為には、実際にその覚悟と準備が無ければなりません。そういったプレッシャーがあって初めて、相手国の痛みと自らの痛みを真剣に考えて、相互に受け入れられるぎりぎりの妥協点を探すことが出来ると言うのが、残念ながら人間社会の、そして国際社会の現実であると、私は思います。
日本外交が、自らの責任で「2」を使う覚悟と準備を持って今回の一件にあたり、今度こそ本当に「相互が譲り合う」妥協が実現できることを心より望みます。それは、日本が、国際政治の舞台において、従来の「傍観者」から真のプレーヤーへと脱皮する第一歩でもあると、私は思います。
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