靖国問題(2)

  • 米山 隆一
  • at 2006/8/15 23:41:44
 靖国参拝(1)で、回の小泉首相の参拝に原則的問題はないと書きました。ただその一方で、「近隣諸国の理解を得る努力」が尚十分ではなかったと、私は思います。
  この点について私は、昨年7月15日にアメリカのアルバカーキーで行われた、原爆開発60周年の記念式典に対して、所謂原爆乙女のある女性が、「核実験を礼賛するかのようなイベントは問題がある」と抗議したと言うニュースを思い出します。
 とても素朴に、私はこの女性の抗議に共感します。当時は戦争だったとはいえ、恐らくはもう勝負はついていた。非戦闘員である市民を何十万も殺さなければならない戦略上の理由はなかった。市民受けた苦しみを、あなた達も少しでも分かって欲しい。それをせずに核実験を賛美するようなイベントは耐え難い。その主張は、心情的にもっともであると思います。
 しかし同時に、おそらくアメリカ人は、次のように考えるでしょう。「あなたの悲しみは理解する。しかし当時は戦争だった。原子爆弾を投下しなくても戦争は終結したかもしれないが、しなかったかもしれない。戦争が終結しなければ、より悲惨な市街戦になり、より多くの市民と、兵士が死んだかもしれない。アメリカにはそのリスクを犯さなければならない理由はなかった。そして原爆の投下がなければ、おそらくはソ連との間に、朝鮮戦争ではなく、日本戦争がおき、場合によっては第3次世界大戦がおきていた。当時の情勢を考えれば、原爆投下はやむをえなかった。そのような非難は当たらない。」
 この原爆問題の図式は、そのまま裏返しにして、靖国問題に当てはまるように思います。日本には日本の立場があり、国のために犠牲になったすべての人に心からの哀悼の意を表する為に、参拝をする理由は確かにあります。アメリカの原爆投下に問題はあったけれどもそれを否定することはできないように、日本人が、一面において加害者であったとはいえ祖国のために犠牲になった人々に頭を下げる気持ちは、否定されるべきものではないと思います。ただそれと同時に、それに対して他国の方々が日本人とは別の感情を抱くこともまた、認めなければならないであり、これを否定することは、原爆乙女の悲しみを、無視することと同じであるように思えます。
 私たちのなすべきことは、自らの立場は立場として率直に説明すると同時に、相手に対する哀悼の意を、労を惜しまず、繰り返し表明し続けることであると思います。 立場が違えば物事はまったく正反対に写ります。違う立場の間での相互理解は現実問題として非常に困難です。しかしいつかは理解できるという信念を失うことは、我々のよって立つヒューマニズムの理想を失うことであり、それは結局のところ自らの立場の自己否定につながるように思います。
 小泉首相は9月で退任します。次の総裁が誰になるにせよ、その人の判断で参拝が必要だと考えるなら、参拝することをためらう必要はないでしょう。しかしそれと同時に、何故そう判断したか、戦争とどう向き合うのか、未来に何を目指すのか、言葉を尽くして世界に語りかけてほしいと思います。そうすることでこそ、自らの立場に信念を持ちつつ、相手の立場も理解する真の相互理解が可能となると思うからです。
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コメント

自分のウェブログの参考にと拝見させて頂きました。 少しだけコメントすることをお許しください。 原爆の件を例していらっしゃいますが、100歩譲ってそれを是としたとします。 しかしながら、私は、原爆について「相手に対する哀悼の意を、労を惜しまず、繰り返し表明し続けること」をアメリカ合衆国あるいは、アメリカ合衆国大統領から示されたという記憶はないのです。 我国の立場があるならば、これに関してはもっと抗議して良いのではないかと思います。

  • Posted by よし
  • at 2006/08/16 00:00:41

よしさんこんにちは。コメントありがとうございます。 アメリカは確かに国として、原子爆弾の投下を謝罪したことはありませんし、今後ともすることはないでしょう。それはおそらく、アメリカとしては譲れない一線なのだと思います。私はもちろん原子爆弾の投下を肯定することは絶対にできないと思いますし、アメリカに限らず、すべての人が戦争というものの罪深さを悟るべきであると思います。 しかしその為に私は、ある一国を声高に非難すべきだとは思いません。それは、それこそ現在の日本と中国・韓国との間のような感情的応酬をまねくだけでしょう。幸いにして日米間には、過去の戦争を過去のものとして冷静に見つめ、そこから未来に向けた教訓を読み取ろうとする土台ができています。事実関係はともかく、パールハーバーはアメリカから見れば「騙まし討ち」が普通の感覚ですが、これに対する論調は一般には極めて穏やかなものです。また第2次大戦の世界史的意義を、きわめて冷静に分析しているのは、実のところアメリカであるように思われます。 そのような状況であれば、現在広島や長崎が行っているように、静かに、そして粘り強く戦争と核兵器の悲惨さを世界のすべての国々に訴え続けることこそが、本来的な戦争への向き合い方であろうと思います。 繰り返しになりますが、立場が違う相手を理解することはきわめて困難です。私自身、中国・韓国からの批判を見当違いと思うその瞬間に、アメリカの原爆投下には怒りを覚えます。それは日本人としては分かりやすいけれど、別の立場からはまったく逆に映るでしょう。困難は承知の上で、非難には粘り強い説得を、理解の土台ができた相手には静かなメッセージ送り続けることが私たちに必要なことではないでしょうか。その努力があってこそ、よりよい未来が実現するのだと、私は信じます。

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