年度が替わって一月遅れのアップですが、3月1日、自民党長岡支部の総務会に出席しました(以前の記事にも書きましたが)。そこでご挨拶の機会があったのですが、気心の知れた内輪同士ということで、司会の丸山市議から突如「次は米山五区支部長ですが、是非若さを生かして『若い話』をお願いします」と、振られてしまいました。
そこで、というわけで、愛用の iPod nanoを持ち出してのご挨拶となったのが写真です。
この iPod nano、なかなか示唆に富んでいます。まず、持っている人はご存じかと思いますが、Pod nanoの裏側はとてもきれいに磨かれた鏡面ステンレスでできています(写真参照)。この金属研磨技術は、新潟県燕市のさるメーカーしか持っておらず、Apple社から完全に独占受注しているとのことです。燕市は60年代に洋食器の生産で栄えたのですが、70年代以降外国製品に押され、いったん地場産業は衰退しました。しかしその後、そのとき培った金属加工の技術を生かしてハイテク部品分野に進出し、現在は世界に通用する会社が多数あります。産業の栄枯盛衰があっても、技術力を生かして柔軟に新しい市場を開拓していけば、日本企業にはまだまだ活躍の場があることの一つの照査だと思います。
ここまでだと、「日本の技術は世界一」という話なのですが、iPod はさらなる教訓を与えてくれます。「国際分業の隠された真実」というレポートをカルフォルニア大学のグループが出したのですが、それによると、iPod2 3万円のうち、燕のメーカーを含む多数の部品メーカー・組み立て会社が1万5千円の付加価値を分け合い、残りの1万5千円はApple社とそのディストリビューターが総取りとのことでした。そこから得られる教訓は、「技術も大事けれど、複数の技術を統合して『売れる製品』として売り出すプロデュース能力があれば、その一桁上の利益を上げることができる」そして「これから日本が世界の中で生き残っていくためには、そういうプロデュース能力を持った人材の育成が不可欠」ということでしょう。かつては、「日本の高度な技術」は日本の企業しか利用できませんでした。日本企業は「技術の向上」に努めていれば、その果実のほとんどは自らもしくは他の日本企業が受け取ることができました。しかしインターネットの普及と平行してグローバル化が進んだ現在、実のところ「技術」も「原材料」や「労働力」と同じく、他国のどの会社でも利用できるものになりつつあります。ただ技術力の高さを誇るだけでは、「アフリカの原材料を用いて、中国インド労働力を使い、日本の技術を利用して製品を作るアメリカの会社に、利益の大半を持って行かれる」という構図にはまりこんでしまいかねないのです。
いつの時代でも、未来を切り開くのは、有能な「人材」以外にありません。日本も、かのApple社のスチーブン・ジョブスに負けないプロデュース力を持った人材を輩出できるよう、柔軟で高度な社会・教育制度を作っていかなければならないと、私は思います。
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