1月前ほど前に、「1人あたりのGDPで日本はシンガポールに抜かれ、遂にアジア2位となった」と言うニュースが流れました。このニュースは私のように、生まれてこの方日本はアジアでは断トツに豊かな国である事を疑わずに来た人間にとっては、極めてショッキングなものでした。シンガポールの取った手法は、徹底した市場開放による外資・外国人の積極的な導入でした。日本は小泉改革を経た今でも外国人労働者の導入は遅々として進まず、外資が少し有名な企業の株式を保有しただけで大騒ぎになる状態で、この分野での立ち後れは否めません。シンプルに「日本がシンガポールに抜かれたのは、経済政策の失敗によるものだ」と感じた私は、シンガポールの友人(以前このブログで紹介した、ハーバードの学生さんです)に、「いや、日本の1人あたりのGDPがシンガポールに抜かれてしまったよ。良い政府を持つと幸せだね、うらやましいよ。」と言うメールを送りました。
程なく彼から帰ってきたメールは、私の予想を裏切るものでした。
「私は、そのニュースを知りませんでした。勿論それ自体は、嬉しい事だけれど、実はそう手放しで喜べるものでもありません。私が思うに1人あたりのGDPの上昇の結構な部分は非常に豊かな外国人がシンガポールに移住した事によるもので、シンガポールの庶民が豊かになったわけではありません。シンガポールは貧富の差がとても激しく、ジニ係数は中国よりも高い位です。ロイターはこの状況について『シンガポールの好景気は所得格差を広げている (http://www.reu
この手紙は極めて示唆に富むものだと思います。確かに市場開放による経済成長戦略は、多くの場合貧富の差の拡大を伴います。それを手放しで「善」とするのは確かに単純に過ぎるのでしょう。しかし逆に、これを単純に「悪」とするのも又間違っているように思われます。「シンガポールは確かに豊かになった、しかしその間貧富の差は拡大した。日本は確かに貧富の差の小さい社会を作り上げた、しかしその間成長は鈍化し、アジアでもっとも豊かな国ではなくなった。」と言うのがありのままの事実でしょう。ここで示されているのは、「物事には常に光と陰があり、光だけを取る事は極めて難しい。問題は両者のバランスである」と言う事だと、私は思います。
昨今与野党伴に、小泉改革の「光」と「陰」、なかんずく「陰」の部分を見直そうという動きが広がっています。しかしそれは、常に「光」を消してしまう可能性を伴う事を、忘れてはいけません。貧富の差が拡大したとは言われますが、シンガポールの友人が指摘するとおり、それでも日本は世界に冠たる平等社会です。ここから更なる平等を志向する事は、新たな成長の可能性を消してしまう事を意味するように、私には思えます。又逆に今後開放路線に進んだ場合、そこで生まれた富は有る程度の貧富の差の拡大を招くとしても、日本が今まで営々と築きあげてきた「平等インフラ」によって、多くの人に配分される素地が整っている様に私には思われます。
開放成長路線で「富」を作って来たシンガポールは、今後はこの「富のインフラ」を利用して「平等」を作っていくべきだし、これまで営々と「平等」を作り上げてきた日本は、この「平等インフラ」を利用して開放成長路線-小泉改革路線を歩み続けるべきだと、私は考えます。
こんにちは。いつもブログを楽しく読ませていただいています。
僕は今海外に住んでいますが、現地での貧富の差には
日本人の目からすると驚きを隠せません。
とてつもなく広い豪邸が並んでいる地域もあれば
貧困に苦しむ移民の人によって形成されている街があったり。。。
米山さんがアメリカに滞在されたのならば同じような事を経験されたのかもしれません。
同時に外国の方にとっては日本は社会主義のように見えるのでしょうか。
外国の人と話して、日本の会社役員や医者などの専門職の
労働環境や給料をいったら驚かれます。(低すぎて。。。)
日本人の気質としてやや格差社会を否定する気配が感じられます。
「日本人」としてどの道を進めば幸せかどうか。これは難しい問題です。
米国や市場解放されたシンガポールをただ単に模範とするのは避けねばならないでしょう。
どちらの方向にしても光と陰があるのは否めませんが、米山さんが
国民の声を汲み取って国を正しい方向に導けるような政治家に
なれることを望んでいます。
海外にいて選挙区も違うので選挙で投票出来ないのが残念ですが(苦笑)
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