8月11日に行われた公開討論会での私の回答を一問一答形式でアップいたします。発言時間は回答3分、補足1.5分(現場では1分)と言うことで、詳細に踏み込まない概略的なものになっていますが、それはそれでそれぞれの問題に対する私の考えの大筋が分かると思います。ご参考にしていただけると幸いです。
Q. 地方分権改革をどのように進めていきますか?
A. 地方分権は、地方の事情に即した政治を行う為だけでなく、国が、本来の役割である、国家の方向性を決め、その為に必要な統一的制度を作る仕事に注力する為にも必要です。ですので私も地方分権を進めていくべき事それ自体には賛成です。
ただ、最近の「地方分権さえすれば総て良くなる」という論調には、正直異論を唱えたいと思っています。なんと言っても分権は、その名の通り、権力を国が持つのか地方が持つのかという分担の問題に過ぎず、その権力をどう行使するかには全く触れられていません。地方分権を強力に訴えておられる橋下さんのような方が権力を持てば勿論政治も良くなるのでしょうが、逆にとんでもない方が持てばとんでもなくなることもあり得る、どっちの可能性もあると言うことは先ず考えなければなりません。
また、例えば今国民健康保険は市町村単位で運営されています。地方分権と言えなくもないのですが、今時魚沼市に住んでいる方で長岡市に勤務している方はたくさんいます。そう言う方が長岡市で健康診断を受けたいと思うと、これがなかなか難しい。人、もの、金の移動の激しい現代において、地方毎に制度が変わることがむしろ不便を生み出すことも沢山あることも念頭に置かなければなりません。
更に言うと地方分権は、基本的には地方のことは地方が責任を持つ、つまり地方同士の競争と言うことになります。それは石原さんの居る東京関東圏、橋下さんの居る近畿関西圏にとってはビッグチャンスとなるでしょうが、新潟県にとってビッグチャンスとなるかどうかはかなり難しい判断を要すると思います。新潟県に限らず、関東圏、関西圏以外の地方にとっては、地方分権、更には道州制の導入は、両者の競争の狭間に埋没するだけの結果を生みかねないと言うこともまた、考えるべきだと、私は思います。
従って地方分権は先ず、何が「地方で自己決定するべきこと」で何が「全国で統一的に扱うべき事なのか」をきちんと切り分けるところから始めるべきだと私は思います。勿論その際に、妙な理屈で霞ヶ関の権限を残したりしないように、特に中央と地方の2重行政に関しては余程特殊なものでない限り地方に移譲して一元化すること、また委任事務等についても同様に地方に権限を移すこと、そして権限の移譲には常に財源の移譲を伴うことを原則としなければならないと思います。
ただしやや繰り返しになるのですが、財源の移譲は、「ある地域で上がる財源をある地域に当てる」というやり方をする限り、例え道州制を導入したとしても、基本的には関東圏、近畿圏に財源が集中して他の地域には財源が行かないという結果をもたらしかねません。東京一極集中の現状からスタートする以上、当面地方交付税若しくはこれに変わる、地方へお金を配分する仕組みの維持は、国土の均衡的発展の為に不可欠だと考えます。
補足
補足として医療の現場で起こったことをお話ししたいと思います。平成16年、今から5年前に臨床研修医制度が始まって、研修医が好きな病院を選べるようになりました。その結果臨床研修指定病院が倍加して、研修医を取り合いました。勿論これは病院同士で取り合いをしたのであって新潟県とか東京都とか、自治体同士が取り合いをしたわけではありません。しかし結果として、都会の病院に研修医が集中して地方では、新潟大学付属病院でさえ研修医の不足に悩む事態となり、地域医療の崩壊の端緒となりました。勿論工夫した病院や地域の中には、地方であっても研修医を確保できたところもありますから、一概に悪かったと言うつもりはありません」。
ただ繰り返しになりますが、地方分権、さらには民主党さんの言うように地方主権というなら、それは地方が自らの責任でものを決めると言うこと、つまりは地方同士の優勝劣敗が生じると言うことで、良い地方はより良くなり、下手をすると悪い地方はより悪くなることを意味します。そしてそれが起こったとき、今度はそれを国の責任とは出来ない、自らの責任として受け止めなければならないと言うことになります。つまり地方分権は、国が権限や財源をくれるかどうかという問題だけではなく、地方に住む私達自身が、その権限を受け止め、その結果にも責任を負う覚悟があるのか無いのかもまた問われているのだと言うことを、申し上げたいと思います。
あなたの意見に反対です。
所得再分配が大事なのは重々承知しているのを前提に言わせてもらいます。
地方大都市では、霞ヶ関官僚による束縛により不満が発生しています。
はっきり言って、東京横浜名古屋大阪福岡は、長岡市の数十倍~数百倍の国税を払っているのに、長岡市と同程度の政策の自由選択しかできません。
それが不満なのです。
国会議員になろうとするなら、地方大都市の不満も勘案するべきです。
そんなに地元が大事なら新潟県知事を目指すべきです。
あなたのやろうとしてることは、旧来の自民党代議士と同じです。そういうのに嫌気が差している国民が多いため、世論調査では民主党有利になっているのです。
旧来の自民党代議士と同じような行動をしていると選挙で民主党議員に負けますよ。
私は貴方の集会にも参加させてもらい、お話しを親密に聞いて参りました。
しかしやはりあなたは自民党。
政策は愚か、医師免許を持っておきながら、なぜ開業医師にならないのか!?
なぜ、現場に立ち市民国民の立場になれないのか?
「一人の医師より40人の医師」???
本当に地方に医師をもってこれるのですか??
あなたにコネクションでもあるのですか??
なぜ弁護士の資格が必要なのですか???
あなたは、本当に政治家になって魚沼、新潟、官僚、国に対して変える力素質はあるのか?
10年先!?
志し!?
明日のため!?
今国民が求めているのは、「今」ですよ!!!
あなたに今を生きる、しのぐ力がありますか??
もっともっと底辺を見ていただきたい!!!
検討を祈ります。
地方大都市市民さん、コメント有り難うございます。
ご指摘はごもっともな点と、そうで無い点があると思います。先ず地方大都市市民さんが個人として納めている税金が、お住まいの地方大都市以外に使われるとしたら、それは到底納得がいかないことでしょう。ですが、例えばトヨタ自動車の本社がある豊田市で、トヨタ自動車が納めた法人税が(国税ですから豊田市で納めたというのはちょっと変ですが)地方に配分されるとしたら、それはそれほどおかしいいことでしょうか?トヨタ自動車は如何に本社が豊田市にあるとはいえ、日本中、世界中で車を売って儲けを上げています。その税収が全部豊田市のものだというのは、私は少々欲張りすぎではないかと思います。
また今度は例えば横浜市について考えましょう。横浜市は勿論非常に繁栄しています。しかし横浜市は、日本にぽつんと横浜市だけがあった場合本当に繁栄しているでしょうか?私の友人で埼玉に住んで横浜に通勤している人がいます。そう言った人を含めて、関東圏という広い後背地があって、多くの人と物がそこから横浜に供給されて始めて横浜の繁栄があるのではないかと私は思います。又逆に、横浜以外に住んでいて横浜で働いている総ての人が一斉に横浜に移住してきたら、横浜の環境が悪化して到底今の繁栄を維持できなくなるのではないかと私は思います。
結局東京、横浜、名古屋、大阪、福岡等の大都市は、経済圏を形成する周囲の大きな地域があってこそ繁栄しているのであって、繁栄は自分たちに由来するのだから繁栄の果実も自分たちが独占するというのは(程度問題ではありますが)ちょっと違うのではないかと私は思います。またこれらの大都市が周囲を無視して単独で行う自治に、どれほどの経済的効果があるかについても私は疑問を感じます。
この論理からは「地方自治を実効的に運用する為には、一体の経済圏を形成する広い地域に自治権を付与すべきである」となりますが、私はそれこそが、「道州制」の基本理念だと考えています。従って日本が自治的運営にふさわしい、適切な規模の、数個の経済圏に分割できるなら、その理念そのものには私は賛成します。
しかしではどう分割するかと考えると、実は日本は東京の経済圏が非常に強大で、分けるとして、東日本と西日本、それに北海道、四国、九州と、ほとんどJRと同じ分け方になってしまうのではないかと思います。そうするとこの中で実質的に自治を行えるのは東日本と西日本だけ、北海道は東、四国と九州は西日本の付属品となりかねません。これでは結局、東と西に霞ヶ関ができるだけ、今と何も変わらない所か官僚が2倍になってむしろ効率は低下した、と言う事態になりかねません(まあ西は当面橋下首相のもと、全うに運営されるのかもしれませんが)。
地方大都市市民さんがいみじくも指摘するように、現在の地方分権論は、地方自治に伴う問題点は割と無視して、霞ヶ関の官僚に対するアンチテーゼとして唱えられている部分が非常に大きいと思います。私は霞ヶ関の官僚機構に大きな問題があることは、間違いないと思います。しかし、それを否定したからと言って、それにかわる統治機構、より効率的な統治機構がなければ、決してバラ色の未来は実現しませんし、下手をすれば事態はより悪化します。私は残念ながら、地方自治がそれに変わる特効薬だとは-県庁の役人、若しくは道や州の役人が霞ヶ関の官僚の代わりを務めれば総て解決するとは、どうしても思えません。官僚機構の問題点は官僚機構の改善で解決すべきであって、それ自体いくつもの問題を抱える地方自治の問題に置き換えるべきではないと、私は思います。
“10年先のために。明日のために。”
このスローガンは、選挙区長岡の偉人である小林虎三郎の故事“米百表の精神”に通じるものがあると感じました。厳しい意見を投稿していらっしゃる方もいるようですが、私は、先見性と郷土愛のある方だと感じました。今”が無ければ、当然、“明日”は存在しませんが、より良い“明日”を生きるために、“今”を生きているのではないかと思います。
メディア情報の影響で、有権者の中には好意的では無い方もいると思いますが、自分を信じて力強く前進して下さい。
30日にテレビの前で、笑顔で万歳出来るよう応援しています!!
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