日本維新の会は議員定数の半減を打ち出しています。私はこれにもろ手を挙げて賛成で、半減どころか1/5の100人でもよいくらいだと思います。1/5は大げさだとしても、アメリカは人口は日本の3倍3億人で、下院435人、上院100人ですので、日本も1/3程度の、衆議院160人、参議院80人程度で運営することは十分可能でしょう。
議員の定数を削減すると、「国民の身近な声を国政に反映できなくなる。」という意見があります。それは確かに一理ありますし、私も幸運にも当選できたら是非皆さんの声を聞かせていただきたいと思います。しかし、この8年間の政治活動でよくわかりましたが、市会議員の先生も、県会議員の先生も国会議員と同様に、皆さんの声を聴いています。市会議員と県会議員と国会議員がみんな同じ仕事をしていることは、どう考えても無駄です。そして市会議員と県会議員と国会議員が同じ仕事をしているということは、つまりは市役所の職員と県庁の職員と、霞が関の官僚が同じ仕事をしているということ-公務員が非常に無駄に多数存在し、しかし各々は忙しく仕事をしているということにほかなりません。
「地方分権」は県が出来ることは県がやって国の仕事を減らし、市が出来ることは市がやって県の仕事を減らし、民間が出来ることは民間がやって市の仕事を減らすということです。そしてここで「民間がやる」「市がやる」「県がやる」というのは、「自主財源をもって、お金の配分から自分の裁量でやる。」ということです。現在のように、何をやるにもいったん国にお金を集め、国からの予算配分を待って事業が行われるようでは、権限の分配による行政のスリム化は叶いません。
そしてそうやって、民間が出来ることやるべきことは民間が、市が出来ることは市が、県が出来ることは県がやって(若しくは道がやって)こそ、国は、国会議員は、本当に国家の行く先、国の在り方に責任を持って取り組めるのだと、私は思います。
「誰もが同じ仕事をやることが善」という規定概念を離れ、国家の働きと権限を適正に分配しなおすこと-地方分権とその先にある統治機構改革によってこそ、この日本を再び効率的で力強い国家に立て直したいと、私は思っています。
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