私のブログ記事「競争無き大学入試で日本の未来を創れるか?」に対して、通りすがりさん(元)より、
「大学で勉強するチャンスはたくさんの人に与えるべきだと思います。
その代り、一定以上の学力が身についた方しか卒業できないようにするべきだと思います。そうすれば中学、高校といろんな事情で(良くも悪くも)勉強に励めなかった人にもチャンスが広がるわけです。」
とのコメントをい頂きました。返信が長くなりましたので、稿を改めて別記事としてアップいたします。
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通りすがりさん(元)、コメントありがとうございます。
「勉強する機会を多くの人に与えるべき」との趣旨には、賛同します。
しかし、「高校で(受験勉強を)勉強できなかった人に、大学で勉強する機会を与える。」は、まっとうなようでどこか矛盾しています。
大学で勉強したいのなら、当然その前提となる高校の勉強もする必要があり、しかもそれは、高校に行かなくても、自宅でも予備校でもできます。それが出来ないなら、より高度な学問を大学で勉強してそれを習得するなど、夢のまた夢です。
結局この問題は、「大学は受験だけが難しく、入ってしまえば何とかなる。」と言う誤解に基づいたものだと思います。まっとうに学問をしたものにとって、極めて当たり前のことですが、大学の勉強は高校の勉強よりはるかに難しく、その習熟にははるかに多くの時間を要するものです。
「大学受験を簡単にして、卒業を難しくする。」を徹底したら、普通に大学中退者が大量に発生するでしょう。それを受け入れられるアメリカ社会ならいざ知らず、日本社会では大量の社会不適合者を生むか、若しくは結局そのような事態を避けるために卒業認定が緩くなって、高校でも大学でも一切勉強しなかった若者を大量生産することになります。
「ひまわり」さんがコメントしているように、人生、何時かは何処かで競争にさらされ、勝負しなければなりません。高校卒業時と言えば18歳、人生最初の勝負をするのに、不足の年齢ではないでしょう。その年齢を先に延ばせば延ばすほど、負けたときのリカバリーは難しくなります。
繰り返し、私は方針の撤回・修正を求めます。
大学受験のシステムは一定点数以上取れば合格でなく上位~位までが合格というのが主流です。
当然入学させる人数に物理的可能な人数というのがあるので仕方ないですが、これは実際は一定学力以上ある人が学習するチャンスを奪われる可能性を秘めています。
(最近のシステムはかなり改善されたのでしょうか?その辺を詳しく調べないで書き込んでしまいました。)
また確かに大学の講義を理解するためには一定以上の知識が必要ですしその知識は高校以外でも得ることができます。
私が言いたいことは一定上の知識がある人は当然ですし、本来その知識を得るための時期にそのレールを外れてしまった人たちにもチャンスを与えてあげさえすれば可能性は広がるんじゃないかと思ったしだいです。
(別に現役に拘るわけじゃないですよ)
まあ、実際大学という枠に拘らなければいいだけの話なのかもしれないですが。
それと大学にも今まで以上の収入が見込めると思うので財政がらくになるかなというちょっと甘い考えの部分もあります。
>「大学受験を簡単にして、卒業を難しくする。」を徹底したら、普通に大学中退者が大量に発生するでしょう。それを受け入れられるアメリカ社会ならいざ知らず、日本社会では大量の社会不適合者を生むか、
この部分がいまいち理解できません。
なぜ日本では社会不適合者になるのでしょうか?
質問にお答えします。
端的に日本では、「大学中退者」と言うものを受け入れる空気も、またたとえば最初に入った大学を中退した人が30歳になってもう一度大学に入りなおすことを受け入れる空気も、希薄だからです。それを受け入れる空気のあるアメリカですら、大学中退者は「中途半端な人」という評価を受けます。日本では一層、「大学中退者」は就職先を見つけることが困難になるでしょう。そしてこれは、たった今「法科大学院を卒業したが、司法試験に通らなかった人」に起こっていることです。彼らの悲劇を、社会全体に拡散することが得策であるようには思えません(長い時間を変えて、社会的風潮から変えていくというのなら、ありでしょうが。)。
仰る意味が理解できました。
でも、米山さんが仰る「卒業を難しくする。」ってのはちょっと私の書き込みを曲解してるように思います。
諸津業のハードルを上げるというのではなく、本来必要なレベルに到達してない方々は卒業できないようにするというだけです。
その行為が社会不適合者云々というのならそれこそ本末転倒な考えだと思いますが。
大学のレベルによりますが、米山さんが思っている以上に入るのが難しく卒業は容易な大学は結構存在しますよ。
あなたが東大以外の大学も(流石に海外はわかりません)いくつか経験されているなら私の思い違いかもしれませんが。
とおりすがり(元)さん、コメントありがとうございます。
そこは現状に対する理解の違いなのかなと思います。東大でも、「全て優で卒業することは極めて難しいが、すべて可でいいのなら卒業それ自体は極めて簡単で、正直東大生でなくても卒業できる。」が現状だと思います。
ただそれは、「入試を通過している以上一定の基礎学力はあるよね。大学の学問は、本当に習得するには、どのみち1学期じゃ全然足りないんだから、必要になった時、本気で勉強してね。」と言うのが、前提となっています。
入試の段階でほとんど基礎学力を問わないのであれば、現在の「卒業するだけなら猿でも…」的な判定はさすがに改めて、「卒業科目をある程度習得したこと」とせざるを得ないと思いますが、例えば「ミクロ経済学」「マクロ経済学」の初歩的な部分でさえ、基礎学力がない人がこれを習得するのはかなり困難です。基礎的学力に重きを置かない大学入試は、大学中退者というか、学問挫折者を相当大量に作り出してしまう可能性が高井と思います。
東京六大学の様な大学スポーツで活躍したいなら、中には大学から始めて活躍できる例外的な方もいるでしょうが、原則としては、中学高校で基礎的な体力と技術をつけておくべきであることに多くの人は同意するでしょう。
学問も全く同じで、大学で学問を習得したいのなら、中学高校で基礎的な学力を習得しておくべきことは当然で、入学者の選抜も基本的にはそこに基づいて行われるべきであるというのは、当然の原則であると、私は思います。
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