ニュースの感想
ここの所、東日本大震災に伊豆大島の土砂崩れと、大きな災害が目につきます。「異常気象のせいか、ここの所大災害が多い。まだまだ日本は安全ではない。もっと公共事業をして、安全にしなければ!」とお思いの方も多いでしょう。私も、「なんだか最近大きな災害が多いよなぁ。」と言う印象を持っています。
しかし、よくよく考えてみると、「いや、むしろ大きな災害が多いんじゃなくて、小さな災害が少ないんじゃないか?」と思い出しました。実際気象庁のデータを見てみると、以下のようになります。
データが古い上に気象災害ですから当然にでこぼこがあって一概には言いづらいですが、10年平均線をとったら、普通に漸減していそうです。
思い返せば私が子供の頃、ちょっと台風が来たらすぐ川の水は反乱し、雪が降っては雪崩が起きて、それほど大きくはない災害のニュースが、紙面をにぎわせていました。今は、流石戦後70年の公共事業の成果で小さな災害はあまり発生しなくなっているように思います。
ところがだからこそ、そういった普通の防災対策・公共事業ではおそらく防ぎようがないために大きな被害をもたらした東日本大震災や今回の伊豆大島の土砂崩れが大きく報道され、目立って見えるのではないでしょうか。
因みに司法の世界でも、「最近異常な殺人事件が増えた。」と言う印象を持っている方は多いのですが、実際は凶悪犯罪は戦後一貫して減少しており(確かに僕が子供の頃は、割と近くで殺人事件とかがありましたが、近年聞かなくなりました。)それが却って、たまさか起こる凶悪な事件を全国で報道させることになり、多くの方が事実とは異なった印象を抱く原因となっています。
さて、そんな観点から見ると、東日本大震災や、今回の伊豆大島の土砂崩れは、「あまりにも規模が大きく、どのような公共事業をしていても、おそらく絶対に防げなかった。」ものであるように思えます。そしてその一方で、東日本大震災では、避難の在り方や津波情報の伝達の仕方が問題となりましたし、今回の伊豆大島の土砂崩れでは、避難警報発令の在り方が大きな問題となっています。
強大な自然の力の前で、どうやっても防ぎようのない災害は存在します。そうであれば、ひたすら「災害そのものの発生を防ぐハードウェアの構築に血道を上げる」のではなく、「防ぎきれない災害の発生は認めたうえで、避難や警戒の方法を確立するソフトウェア的防災で、被害を最小限に抑える方法を確立する。」ことに比重を移していく方が、むしろ時代にかなった防災の在り方なのではないかと、私は思います。
勿論災害も地域も多種多様で、今なお「公共事業によるハードウェア的防災」が必要な地域もあるでしょうからそこはきちんと対処すべきでしょう。
しかし、ただひたすらそれだけを繰り返して、既に相当程度防災インフラを作り終わったこの期に及んでなお、総額200兆円という、日本が持てる力のほとんどすべてをつぎ込んで、公共事業による「国土強靭化」で「絶対に災害が起きない国土の構築」を目指すのは、不沈空母を作ろうとしたり、天に届くバベルの塔を作ろうとしたりするようなもので、神ならぬ我々には過ぎたる望みでしょう。
公共事業による天災からの安全の確保は、医療・介護・年金制度の整備による病気と老いからの安全の確保と比較しつつ、かつ、「ハードウェア的防災」と「ソフトウェア的防災」のバランスを取りながら、必要な範囲で計画的に進めていくべきものだと思います。
巨大隕石が降って来たり、富士山噴火などには対処のしようがないですものね。
東京都心の地下にも、一定の広さの退避場所が出来始めているように、確かにソフト面を充実させて、身近にいつも防災への意識を持っているほうが、心理面含めて防災になるのかな、と思いました。
今現在も伊豆大島の方々が大変な思いをされているなか,このような内容のブログはもう少し時間が経ってからでもよかったのでは…。
saya さん、コメントありがとうございます。ご意見、参考にさせていただきます。
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