ニュースの感想
ご承知の通り、日本維新の会は、憲法問題が理由で分党します。
それはそれで、仕方ありません。既にお伝えした通り、私は日本維新の会に残ります。
それと話題は全く異なりますが、4月24日、認知症の男性が徘徊中に電車にはねられ、JR東海が遺族に賠償を求めた裁判の控訴審で、名古屋高裁は、認知症の夫を介護していた91歳(!)の妻に、360万円の賠償を命じました。
http://sankei.j
この判決に憤る声は、上の記事のリンクを始め多々聞かれます。しかし、司法に携わるものとしては、現行法において「認知症」の方の(特にまだらな方の)責任能力の範囲、認知症の方を介護する方責任の範囲は明確でなく、過去の判例との整合性からも、判決としてはこの程度にならざるを得ないものと思います。
しかし、この判決の不条理を解決する方法がないわけではありません。それどころか、立法府-国会が、せいぜい10条から20条の特別立法、例えば「認知症患者の看護に関する責任の範囲を定める法律(認知症看護責任法)」を一本作れば、認知症患者に関わる事故についての賠償責任を合理的に解決することは、完全に可能です。
認知症の夫をかいがいしく支えた91歳の妻が、人生の最後に高額の賠償にあえぐ悲劇を、数々の介護の現場で、到底かなえようのない介護要求に人々が疲弊する現状を、なくすことができます。
それをしないのは、国会の怠慢以外の何物でもないと、私は我が党の議員の方々にも、そして野党の、与党の議員の方々にも、声を大にして申し上げたいと、思います。
憲法は、確かに大事な問題です。私も憲法の議論は好きです。しかし、本当のところそれが容易でないこと-10年や20年は、自主憲法の制定どころか憲法の改正すらままならないことを、議論している本人たちが、知っています。そして本当のところ、どんな憲法が出来ようが我々の生活にさしたる影響はなく、「家族の重要性」を唱う憲法が出来たからと言って介護に苦しむ家族の負担が減るわけではないことを、議論している本人たちは、分かっているはずです。
一方で、認知症看護責任法は、今すぐ、できます。うまくマスコミを使って世論を喚起すれば、今国会とは言わないまでも、次の国会に成立させることすら、可能でしょう。そしてそれをやりさえすれば、認知症の家族の不安は現実に解決され、実際に事故が起こった時に、理不尽な賠償請求を受けることはなくなるのです。
何故それをしないのか、何故、今目の前の問題を解決することが、到底実現できそうにない遠大な理想について議論する事よりも優先順位が低いのか、私は正直、残念です。
雨にも負けず
風にも負けず
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
その一つ一つを現実に解決する立法を実行する
そういうものに
私はなりたい
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以下、宮沢賢治の「雨にも負けず」の原典です。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
難しい問題ですね。
責任能力の無い人間に責任追及しても仕方が無いですが、被害者の泣き寝入りもおかしな話だ。
昨今の日本人は権利を主張して義務を怠る。
責任能力に関しても、犯罪を犯してから鑑定なんておかしな話だ。
事前登録制にして、責任を免除された人間は他人へ迷惑をかける事のないように保護下に置かれ監視されるべきだと思う。
それくらいしなければ被害者達は納得できないであろう。
義務を免除された人間は権利も失う。
これって当たり前の事だと思います。
逆に安全対策が不十分だとして、運転差し止め請求できませんか?
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