私は「愛国」と言う言葉も、「売国」という言葉も、あまり好きではなく、めったに使いません。どちらも意味がはっきりしない割に、極めて煽動的に使われるからです。
しかし最近の安倍政権の政策を見ていると、「総理、もしかしてこの二つを、同時に行われようとしていますか?」と質問したくはなります。
言わずもがなでしょうが、安倍内閣は集団的自衛権の行使容認に突き進み、ペルシャ湾での機雷掃海への参加まで視野に入れています。
一方で安倍総理は、「安倍ノミクス第3の矢は悪魔を倒す」と大見得を切られて、「エネルギーや農業、医療分野を外資に開放する」ことを言明しています。また、これと同時に「働く母親のために家事を担う外国人労働者の雇用を可能にする」ともしています。
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この両者は無関係のように見えて、ある意味論理必然です。
なぜか?答えは簡単で、日本には、「お金と人が足りない。」からです。
これも言わずもがなでしょうが、さして景気が良くなっていないにもかかわらず人手不足感が出る程に、日本の若年人口は減少しています。要するに今の日本には、「発展するための人が足りない」のです。また、国債はいくら出しても大丈夫と言う俗論はあるものの、実際借り換え国債の消化は綱渡り状態ですし、外国人投資家がいなくなれば即座に日本の株式市場は変調をきたします。つまり今の日本には、「発展するためのお金も足りない」のです(国債市場と株式市場を支えるお金が、成長のためのリスクマネーと言えます)。
そしてそのなけなしのお金と人手を、「防衛」「集団的自衛」と言う形で使い、外に出してしまったら、それを補う方法は、「人とお金を海外から導入する」しかありません。つまり逼迫した日本の人口動態と財政状況において、直接ものを生み出さない防衛に人とお金をつぎ込むことは、そのまま、海外から人とお金を導入せざるを得ないことを意味します。
安倍政権と、これを支持する「愛国」的な方々は、高揚感に満ちて、「国を守る!」「国を愛する」を連呼し「国を愛する以上防衛は当然!」と集団的自衛権の行使に何の疑いも持たれていません。しかし、繰り返しになりますが、国を守るには当然人手とお金がかかり、海外にまで出て行って他国まで守るなら、それにかかる人手とお金はその何倍にもなります。
今の日本には、その人手とお金を出す余力はなく、不足分は海外から導入せざるを得ませんが、海外の方々もただでは来てくれません。そのためには、日本の資産を切り売りして、お金と人手を手に入れざるをえません(外資の導入と言うのは、そういうことです)。
ひどく単純化し、かつ極めてデフォルメした形で恐縮ではありますが、集団的自衛権の行使-積極的平和主義と、外国人労働力・外資の導入を同時に進めるということは、要するに、エネルギーと農業と医療とを外資に売り払って、そのお金とそれによって得た人手で、海外で軍事行動を行うということに、他ならないのです。
本当にそれが「愛国」と言う名に値するものなのか、国力にふさわしくない背伸びが結局のところ国家の資産の切り売りにつながらないのか、今の日本に本当に必要なのは、防衛コストは身の丈に収めて、自らの力で自らの社会の問題点をきちんと解決することに全力を傾けることではないのか、問い直すべき時に来ていると、私は思います。
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