予期していたことですが、昨日、集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされました。
微妙に反対のトーンの記事を書いていましたので意外かもしれませんが、私は集団的自衛権の行使それ自体には、賛成です。また、「解釈改憲」と言う手法についても、憲法9条の下で自衛権と自衛隊の存在と日米安保を認めること自体が、そもそも結構アクロバティックな「解釈改憲」ですし、「集団的自衛権は保有するが行使しない。」と言う解釈も相当に難解で、「集団的自衛権を保有する以上、行使することもありうる。」とするのは、むしろ自然だと思います。
また、「憲法を解釈して実行するのはだれか?」と問われたら日本の現行憲法下では内閣しかないのであり、「内閣の判断で憲法解釈を変更するのはおかしい。」と言う批判も筋違いだと思っています。
とはいえ、私が今回の解釈改憲に賛同できないのは、安倍総理が、おそらくは意図的に、「戦争に巻き込まれることはない。」「外国を守ることはない。」と言う「絶対安全神話」を付すことで国民的議論を回避して、「集団的自衛権の行使」という国家の安全保障の根幹にかかわる決定をしている点にあります。
安倍総理の言う様に外国を全く守らないのであれば、結の党の江田党首あたりが言っているように、そもそも政府が掲げるほとんどすべての事例は個別的自衛権で対応できます。この解釈改憲が、外国、なかんずくアメリカの軍隊を守るものであることは、極めて明白です。
また「戦争に巻き込まれない」つまりは国外でまったく軍事行動を行わず、国内のみで軍事行動を行うなら、それはどう見ても個別的自衛権の範囲で対処できる話で、今回の解釈改憲が「国外での軍事行動」を視野に入れたものであり、かつ、そうである以上外国との戦争に巻き込まれる危険が発生するのは、当然のことです。
私は、それが悪いと言いたいのではありません。真の意図、真の危険を隠して、自らの政策を「絶対安全」として実行することは、不誠実であり、かつ、本当のところ極めて危険だと言いたいのです。
まずもって、集団的自衛権の行使には、当然ですが、コストがかかります。アメリカがこれを契機に日本に一層の防衛負担を求めることは確実であり、現在5兆円の防衛費は簡単に数兆円増加するでしょう。それは少なくとも消費税数パーセントの増税に匹敵しますし、それをしないなら、当然そのコストは、医療費を削るなり社会保障を削るなり、はたまた公共工事を削るなりするしかありません。その負担をきちんと示さずに「絶対安全大丈夫」はだまし討ちと言うものです。
また、集団的自衛権行使に伴う軍事行動によって、戦争、少なくとも戦闘に巻き込まれる可能性が高まるのは当然で、むしろ実際に一人や二人は死者が出る危険があると考えるのが普通でしょう(その程度の危険もないような行為を軍事行動とは言いません)。その時命の危険にさらされ、大怪我をして激痛に苦しみ、最終的に死亡するのは現在・及びこれから自衛隊で勤務する若い方々です。この方々に「絶対安全大丈夫」と言って海外での軍事行動に送り出すのは、明白に不誠実です。
そして、集団的自衛権行使の「絶対安全大丈夫」神話の最大の問題点は、原発の安全神話がそうであったように、不断の、合理的なコスト削減策、合理的な安全対策の策定を困難にすることです。「絶対安全大丈夫」なものに対策は必要なく、対策を打つということは、「絶対安全大丈夫」ではないということになるからです。
集団的自衛権の行使は、少なくないコストを伴います。だからこそ、防衛費の膨張に対する歯止め、自衛隊の効率的運営、米軍への思いやり予算の見直し等々、コストを現在の日本が賄える範囲に限定する不断の努力が、絶対に必要です。
集団的自衛権の行使は、決して低くない危険を伴います。だからこそ、現場に赴く自衛官には万全の安全対策、万全の救命対策が必要ですし、万が一局地的な戦闘に巻き込まれた場合可能な限りその戦闘を拡大することなく事態をコントロールする対策を策定し、更にはそのような場合に即座に部隊上層部から防衛相・内閣に情報を届ける仕組みもいるでしょう。
そして何より、平素から、仮想敵国を含めた関係各国と良好とは言えなくても適切な外交関係を築き、偶発的な事態を戦争に拡大させない手立てを確保しておく努力が不可欠です。
集団的自衛権行使の「絶対安全神話」は、本来必要なこれらの努力を、不可能にしてしまうのです。
私は、首相たるもの、偽りの「絶対安全神話」を掲げて議論を封じ込めるのではなく、正々堂々、
「集団的自衛権の行使は、決して安くないコストと、決して低くない危険を伴います。しかし、これを行使しないコスト、これを行使しない危険は、それよりもはるかに高いものです。だから私は、日本の繁栄と、日本の安全を守るために、集団的自衛権の行使を決意しました。より効率的な防衛、より効果的で危険が少ない防衛に努めると同時に、何より、平素から関係各国と適切な関係を築き、集団的自衛権を行使せざるを得ない事態を最小限に抑えることで、集団的自衛権行使のコストと危険を可能な限り抑えていきますので、是非私の決断を支持していただきたいと思います。そして、そのようなすべての努力にもかかわらず、尚発生しうる不測の事態においては、国民皆が力を合わせてこの日本を守ってくださることを、心よりお願いいたします。」
と言って頂き、国会のみならずタウンミーティングを含め国民全体で喧々諤々の議論をして、国民の合意を得たうえで、「集団的自衛権の行使」という国家の安全保障の根幹にかかわる決定をしていただきたかったと思います。
今回は珍しく100%米山さんの意見に賛成です。
憲法9条の会のようなファンタジーでは、国は守れません。彼らは、ノルウェーのように1ヶ月で占領されたことをどう思っているのか。「教え子を戦場に送るな」というならば、未然に防止する方法を子供に教えているのか。
彼らはガンジーのような非暴力、不服従で解決する気なのでしょうか?それすらはっきりしません。ガンジー的解決方法は、あくまでも少数の支配者と圧倒的多数の被支配者の植民地でしか通用しない抵抗方法にすぎませんからね。9条維持派は「羹に懲りて膾吹く」状態で、彼らの言動は全く意味不明です。
もちろん伝家の宝刀は、抜かないのに越したことはないです。
そして憲法解釈の変更、これもないでしょう。正々堂々と憲法改正すべきです。
9条は世界遺産にしてもいいですが、あくまでも「遺産」であってほしいです。
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