最近、「日本の誇り」が流行りです。殊に歴史問題については、陰に陽に、「日本は何一つ悪くない」「中国が悪い」「韓国が悪い」「アメリカが悪い」という論調が目立ちます。その一つ一つの是非に、本稿で立ち入りたいとは思いません。しかし私は、そういった考え方が特に若い世代に伝わっていることに残念な気持ちを禁じえませんし、若い世代が本当にこれらの論調を言葉通りに受け取ってしまっているなら、彼らが世界で活躍する芽を、摘んでしまいかねないことだと思います。
恥ずかしながら私も、アメリカで働いたことがあります。勿論、日本人としての誇りをもって働きましたし、自分に自信があること、自国に誇りを持っていることは、とても重要なことだと思いました。しかしそれと同時に、もしかしたらそれ以上に、「他人を認めること」「他国の誇りを尊重すること」も非常に重要であることも、痛感しました。
言わずと知れたことですが、アメリカの大学は、多国籍の混成部隊です。私のいたラボにも、アメリカ人、ロシア人、イタリア人、フランス人、オーストラリア人、レバノン人、イスラエル人、インド人、中国人、韓国人、日本人が在籍し、関わっていました。とてもいい人も、それほどでない人も、とても優秀な人も、人並みの人もいましたが、全員が、ともに目的を共有できる、信頼できる仲間でした。
飲んで冗談を言い合えば、もちろん、人種・国籍をネタにしたジョークも多々ありました。フランス人と飲むときは、アメリカ人のジャンクフード好きと味音痴をこき下ろし、アメリカ人と飲むときはフランス人の食事と女性(男性)に対する情熱を面白おかしく揶揄し、1枚のレントゲンフィルムに10数人分の写真を縮小印刷してフィルムを節約する中国本土の医療事情を冗談のネタにする一方で、アメリカの超高額医療を批判したりもしました。私のいないところでは、日本人・日本もきっといろいろ言われていたのだと思います。
しかしそんな仲間内の気の置けない冗談の中でも、私は他国の文化、他国の誇りを決定的に否定する言論に出会ったことはありませんし、私自身もしたことがありません。そんなことをしたら、私は総スカンを食っていたでしょうし、それ以前に、批判された本人たちが、自分たちの国、自分たちの文化への批判や揶揄に対して全く逆の意見-誇りを持っており、それを否定することなぞそもそも不可能だったからです。
上記の「アメリカ人のジャンクフード好き」はアメリカ人から見れば、「そんなこと言うけど、マクドナルドもコーラも、世界中で飲食されているし、日本人のお前も食べてるだろ。世界中でこんなに食べられている食品を作ったのはアメリカ人だけさ。それは俺たちの味覚こそ、世界一ってことだよ。」となりますし、フランス人の前で「フランス人の食事と女性(男性)に対する情熱」を揶揄したら、にやりと笑って「ははは。そうらしいね。食事はともかく、日本の特に男性は女性には淡泊だと聞いているよ。君たちは人生の本当の楽しみ、本当の幸福を知らないんだね、可哀想なことだ、同情するよ。」とむしろこっちのほうが馬鹿にされてしまいます。中国の医療機関における物資不足は中国人にとっては発展の証ですし、アメリカの高額医療は、アメリカ人にとっては問題であると同時に世界をリードする技術を生み出してきた証明でした。
結局、一つの事柄に対して、見方が違えば正反対の評価が成立し、日本人が日本に誇りを持っているのと同様に、アメリカ人はアメリカに、フランス人はフランスに、中国人は中国に誇りを持っており、一方の国から見た欠点は一方の国からは誇りであり、一方の国から見た誇りは一方の国からは欠点に見える場合があるのであって、それらの真偽を決し、優劣をつけることは不可能かつ無意味で、他国の見方、他国の誇りは、たとえ自分の見方と違っていても、その存在を認め、尊重することが重要であると、私は学んだつもりです。
かのカエサルは「私は自分が信じる道に従って生きてきた。だから他人がそう生きることも当然と思っている」と言ったと言われています。偉大な先人の言葉を借りて恐縮ですが、私も、「私は、日本と日本の歴史に誇りを持って生きてきました。だから、他国の人が、自分の国と歴史に誇りを持つのは当然だと思います。日本の誇りと他国の誇りがぶつかったとき、日本の誇りを貫くべきは当然ですが、しかし日本の誇りとは異なる他国の誇りが存在することを認め、それを尊重することもまた、当然だと思います。」といいたいと思いますし、多くの方に、特に次世代を生きる若い方々に、そう思ってほしいと思います。
米山隆一様
お返事ありがとうございました。
『「貴殿の隣の家で夫婦喧嘩、親子喧嘩の果てにボヤ騒ぎが起きて火の粉が降りかかってきたら、あなたは火を消しに行きませんか?けんかの仲裁に入りませんか?」との質問にお答えします。
おそらく前後の文脈から、「日中戦争は、満州国での清朝廷の再建と、漢民族の中華民国政府との争いを、日本が仲裁若しくは収めようとしたものであり、日本の侵略戦争ではない。」という趣旨かと思います。』
とのご認識ですが、ニュアンスが少し違います。
夫婦喧嘩=中国内乱、親子喧嘩=中国と当時の李氏朝鮮国(後の大韓帝国)です。
また、日本の侵略戦争ではない!と断言したつもりはありません。そう取れる様な歴史的事実もありますよ!と述べたつもりです。
『当時の状況をそのように解釈する余地が皆無であるとは言いませんが、少なくとも当時を知らない私にはそのように信じる確たる証拠はありません。』
勉強して下さい。
特に、通州事件と通化事件と長春包囲戦は絶対に勉強して下さい。私は支那事変は通州事件に始まり、通化事件にて終了したと認識しております。
『そしてそのように信じる確たる証拠がないことでは、今を生きる中国のほとんどすべての人も同じでしょうから、彼らが、そのように信じないのも、当然だと思います。そして、中国人は、おそらくそれと正反対の証拠をそろえた教育を受けているのでしょうから、それと正反対の意見を持つのも、当然でしょう。』
正反対の証拠の多くは捏造です。
例えば、中国残留孤児問題を考えてみて下さい。これを自分に当て嵌めてみれば、自ずと答えは出てきます。よそから来て自分の家族や地域住民を強姦、虐殺して財産を略奪した奴等の子供を貴方は育てますか?自らは殺さないまでも養育はしないでしょう。子供を育てるのは大変な事です。勿論、養育して下さった中国人の方々には只只感謝申し上げます。
私は韓国人、中国人、台湾人、フィリピン人、マレーシア人、ドイツ人、イギリス人等々と仕事を共にした事があります。個々人としては皆大好きです。殊に韓国人とは付き合いが長かったので、中越大震災、東北大震災の時は何十年も経っているのに真っ先に電話をもらいました。電話では韓国人が日本語で、私が韓国語で話をしました。楽しいものでした。
世界の人々との相互理解は大変重要で、その際に最も重要な事は、各人が正しい歴史認識に基づく自国の誇りを明確に持つ事です。そうでないと相手に馬鹿にされて付き合ってももらえません。何だよコイツ日本人のくせに日本の事を何も知らないのかよ!と言われ、蔑まれます。だから私は当時、歴史を学び直しました。
「相手(敵)を知り己を知れば外交(百戦)危うからず」です。
『私は、日中戦争、太平洋戦争において、日本がすべて悪かったといっているのではありません。少なくとも中国から見れば、すべての経緯を置いておいて、それは侵略に見えるといっているつもりです。中国からどころではありません。アメリカを含めたほとんどの国から、おそらくそう見えています。
自分がどう思うかはさておき、他国からどう見えているかについて知るには、その他国の意見を聞くしかありません。それすら否定するのは、独善というものではないでしょうか。』
仰る通りです。中国人や韓国人のみならず、世界中の民族が自国の視点から歴史を語る事に何ら問題もありませんし、他国の民族はそれを認めるべきだと私も強く、強く、強く思います。それがアイデンティティの根幹だからです。
私が言いたいのは、以下の二点です。
①中華人民共和国(中国人ではなく)と大韓民国(韓国人ではなく)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮人ではなく)は、自国の歴史観を他国に強要するな!
また、他国の歴史教科書に干渉するな!
他国の内政に干渉するな!
②日本人は祖父、曽祖父を始めとした祖先を卑下するな!
自虐的反日歴史教科書を鵜呑みにするな!
歴史を正しく学び、自分の立ち位置を明確に持て!
日本の為政者(官僚も含め)や教育者は確りしろ!
将来、国際社会で活躍する子供達に大変重要な近代史を自虐的なウソ教科書で、しかも受験が近いからと蔑ろにした教育をするな!
と言いたいのです。
此れにて本当に失礼致します。お付き合い頂きましてありがとうございました。
米山隆一様
相変わらずのブログの書き出し(文頭)ですね。
『 最近、「日本の誇り」が流行りです。殊に歴史問題については、陰に陽に、「日本は何一つ悪くない」「中国が悪い」「韓国が悪い」「アメリカが悪い」という論調が目立ちます。』
との事ですが「日本は何一つ悪くない」と言う書き出しは極めて好戦的です。貴殿のブログは今回に限らず、この様な挑戦的、好戦的な書き出しが非常に目立ちます。まぁ、問題提起をする上でインパクトが必要との意識の現われだとは思いますが…。この様な論調では、以前から貴殿が嫌悪感を覚えると仰っていた、罵詈雑言の応戦による阿呆・馬鹿合戦を誘発しているのは貴殿だと言う事に成ってしまいますよ!
本稿(日本の誇り 他国の誇り)も、私との議論についてのコメントと受け取っておりますが、この様な書き出しで持論を展開される事が目立ちますので、ついつい反論したくなるのです。
今の日本に、昭和初期の不幸な時代について「日本は何一つ悪くない」と考えておられる方が何%いらっしゃいますか?調査した訳ではありませんので何とも言えませんが、母数を成人とした場合で数%有るか無いか、ひょっとしたら1%未満ではないですか?言論も含めた暴力的極右論者だけでしょう。少なくとも私はその様に考えた事は、この世に生を受けて以来一度もありません。
貴殿が「美辞麗句を並べて戦争を美化している」とか「軍隊は効率を求める大量殺戮集団だ」とか「大東亜戦争は自衛戦だと弁解を並べても、日本の侵略戦争に他ならない」等と、一方的かつ勝手に決め付けて論評されるから、もっと多面的に捉える必要があるのでは?と 問題提起している訳です。
喧嘩両成敗と言われる様に、何事も事態が起こるまでには当事者のみならず、様々な要因が複雑に絡み合っているものです。戦争も先に宣戦布告した方が一方的に悪いとか、ましてや敗戦した国が全て悪い等と言う事はありません!!
蛇足ですが、先の日本と中国との戦闘行為に於いては、両国とも宣戦布告しておりませんので、最近定着しつつある「日中戦争」は誤りで、「支那事変」が正しい呼称です。この事からも、「日本が中国内乱に引き摺り込まれた」との論調にも少なからず妥当性があるのではないでしょうか?
因みに、開戦前に律儀に宣戦布告する国は世界的に見ても日本ぐらいで、一般的には事後布告です。先の日米戦では、馬鹿な役人が前日の歓送迎会か何かで飲み過ぎて二日酔いになり、事務処理が遅れて真珠湾攻撃から1時間程過ぎてしまいましたが…。果たし状的な儒教道徳文化の正々堂々とした日本人としての誇りを有する私としては、正に痛恨の極みです。
以上、貴殿のブログの論調についての苦言、他。
岐阜から来た七日市のヨソ者さん、コメントありがとうございます。
いや、これは耳が痛い、さすがの御慧眼です。ご指摘の通り、「文頭はキャッチ―に」と言う意図もあってのことなのですが、結構昔から、「お前の文章は特に最初がちょっと力みすぎ。」とよく言われてきました(笑)。
改めようという部分もあるのですが、最近はやりの ”Let it go(ありのままに)”的には、まあこれが私の個性で、このキャッチ―さがなくなってしまうとつまらないところもあると思いますので、半分は気を付けて、半分は御理解いただくということで、ご容赦いただければと思います。
日中戦争は、中国側の清帝国末期の混乱に、国民党軍、共産党軍、更にその中の指揮命令系統の不統一がありましたから、確かに国家間の戦争であったのか、内戦に介入したものなのか、はたまたどれかの勢力を援助するものだったのか、解釈は複数ありうると思います。
勿論私も日本がすべて悪いとは思っていないのですが、少なくとも、大多数の中国人がそう思うのはやむを得ないことかなと思います(アメリカの原爆投下を、「戦争だからしょうがない」と割り切れる日本人がそうはいないことと同じではないでしょうか。)。
いずれにせよ、「昭和初期の軍国主義の時代」に良いところも参考にすべきところもあったでしょうし、高潔な人もいたでしょうし、どんな時代でも人間ドラマは人間ドラマで愛と夢と感動があったのでしょうが、しかし全体としては、現代の社会の方がずっと幸せで、私たちは戦前への回帰ではなく、現代の社会の問題点をより時代に即した方法で解決していくことで、より幸福な社会を作っていくべきだということで一致できるなら、素晴らしいことだと思います。
昨日は七日市の夕涼みの会に出席予定だったのですが、東京での応援演説と仕事で参加できませんでした。週末は「枝折峠ヒルクライムin魚沼」に参加予定です。どうぞよろしくお願いいたします
貴方の芯って一体なんですか?
ここを具体的に示せなければ自民党には絶対に勝てませんよ。
民族の歴史を軽んずる輩は5区では勝てないと思いますので状況分析をしっかりしてください。
お願い致します。
とおりすがりさん、コメントありがとうございます。
私の芯というか信念は、「良いものは良い、悪いものは悪い、正しいものは正しい、間違っているものは間違っている。」ときちんと判断し、可能な限り、多くの人が幸せになれる地域と国を作っていくことです。
「民族の歴史」すなわち「日本の歴史」は、まさに日本人が、そういう道を歩んできたからこそ、私たちの今があることを端的に示しています。
明治維新の1860年代当時、欧米列強の荒波にさらされたアジアの国は、日本だけではありません。中国(清)、韓国・北朝鮮(李氏朝鮮)も全く同じでした。その中で何故日本が独立を保ち、第1次大戦後には国際連盟の常任理事国の一角を占める地位を得ることが出来たのか、それはあの時、「尊王攘夷」と言う非現実的スローガンを捨て、自らの実力と欧米列強の実力との差を認め、「富国強兵」へと転換できたからでしょう。そして「富国」においても「強兵」においても、日本は、江戸時代の「民族の伝統」にこだわることなく、それを保ちながら、西洋の良いところは良いところとして柔軟に導入していったからこそ、現実に、「富国」と「強兵」を成し遂げることが出来たのでしょう。
「盲信的民族主義」は何も生み出しませんし、それこそ、柔軟で聡明な日本文化とは相いれないものだと思います。
初めてコメントします。まことに穏健かつ普遍的な価値観をお持ちのようで、心強く思います。
日本の主張をしていく場合でも、独善を排し、国際的な潮流に棹さしていくこと、国際世論を意識して適切な表現で発信することは不可欠であって、明治日本の成功と昭和戦前期の失敗の大きな原因はそこにあったのだろうと思います。戦後日本の成功も然り。
この辺り、米山さんがFacebook上で議論されている八幡和郎氏が常々著書などで強調していることであって、こうした国際性ある愛国主義(?)の如きものこそ、我が国が大切にすべきものだと思います。
維新の会はこうした点において(橋下慰安婦発言に典型的に見られるように)、動機は良くとも勇み足であったり、表現の仕方が問題で損をしていることが多いように思う。貴殿の国際性と知性が、よい表現を与えるのではないかと思っていますので、早く現場で活躍してほしい。
今の政権も、幸い最近はかなりその辺りを意識して巧みにやっておられるようですが、最初から気をつけていれば、もっといいスタートが切れたことでしょう。特に対米関係など、米国の今後の変化を睨みつつ、細心の注意をはらっていく必要があります。卑屈にならず、自らの主張を国際的な文脈のなかでしっかり伝えつつも、関係国と友好的な関係を結ぶことは容易ではありませんが、叡智を結集すれば必ずやそれは可能だと思っています。貴殿にはそんな最前線で活躍してもらいたいと思っています。
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